目黒不動尊!
目黒不動尊!
厄落としで有名な寺社としては川越大師、川崎大師、八坂神社がありますが、目黒区にも目黒不動尊があります。
高級住宅地としても知られる目黒区の中に画像の案内図の敷地を持つお寺です。
正式名称は瀧泉寺(りゅうせんじ)と称し、808年に慈覚大師円仁が京都の比叡山に行く途中で
不動明王を祀って創建したと伝えられています。
東急目黒線の不動前駅から徒歩15分くらいの場所にありますが、一度かなり下った場所に仁王門があり、
そこからせり上がった場所に大本堂が待ち構えている感じがします。
大本堂の裏には不動明王の本地仏である大日如来座像が見守っています。
不動明王は大日如来の使者、又は化身とも言われています。
憤怒の形相で有名ですが、それは悪魔やその他様々な疫鬼を撃退するためで、
逆に信仰する人々に対しては非情に優しい性格を有しているそうです。
仁王門から大本堂までは約70段の階段があります。病気のせいで3月には10段も登れなかった階段ですが、
昨日は約70段を一気に登ることが出来ました。不動明王が後押ししてくれたのかもしれません。
香川県が面白い!
香川県が面白い!
日本一小さい県の香川県、本サイトに参加されている「補聴器のヤマダ様」が大きいイオンモールのある滝ノ宮で
評判の補聴器販売店になっていますが、この小さい県は色々有名なものがあります。
何と言っても最初は讃岐うどんです。補聴器のヤマダ様の近くにも「山越」があって連日多くのお客で賑わっています。
あまり知られていませんが、漆の世界でも有名です。漆といえば石川県輪島が有名ですが、
香川の高松は優るとも劣らず漆産業に貢献しています。
補聴器の山田様の次女万里江様は香川県漆芸研究所で講師をしているそうです。
そして、今回紹介するのはうちわです。日本には三大うちわがあり、京うちわ、房州うちわと並び丸亀うちわが該当します。
丸亀うちわが広まった背景は、金比羅宮の参拝土産で「㊎印入りうちわ」が1633年に考案され飛ぶように売れたことにあります。
丸亀藩では藩士の内職としてうちわ造りを奨励したため、日本一の産地になる基礎が出来上がった模様です。
栃木県の餃子の話と似ています。
うちわの柄の形状は竹をそのまま使う「丸柄」と竹を割って柄にする「平柄」があります。
最初は丸柄が主流でしたが、明治時代に平柄が普及し、
大正時代になると丸亀で竹を加工する「切り込み機」と「穴あけ機」が発明され、丸亀の生産量が一番が決定的になりました。
1995年には「うちわの港ミュージアム」都いう日本で唯一のうちわ博物館も立ち上げました。
面白い県ですね、香川県は!
江ノ島駅!
江ノ島駅!
13日(日曜日)、ふと思いついて江ノ島に行ってみました。東急大井町線自由が丘江駅で中央林間行きの急行に乗り、
中央林間から小田急で江ノ島行き快速急行に乗ると1時間15分くらいで江ノ島に着きます。
日曜日なので混んでいるかなと思いましたが、予想したほどではありませんでした。
3年ぶりくらいの江ノ島駅でした。画像は左が以前の江ノ島駅、右が現在の江ノ島駅です。
どれだけ江ノ島駅が変わったのか見たかったのですが、驚くべき変化は感じませんでした。
日本のモンサンミッシェルともいわれる江ノ島ですから、未来を見据えてもっと斬新なデザインを個人的には期待していたのですが、
レガシーを大切にしたということでしょうか?
病気のせいで体調が良くなかったのでえのしままで行きませんでしたが、橋を渡る前の入り口とも言える場所に「名勝の史跡 江ノ島」の石碑と東京オリンピックのヨットレース会場を示す置物がありました。
その後江ノ電に向かいましたが、こちらは人が多かったです。4両編成のうち2両が画像の様なレトロ調のものもあり、
江ノ電も頑張っているなーと思いました。
鎌倉に行って少しお寺を覗こうかと思いましたが、体調に問題がありやむなく電車で帰宅しました。
しかし、急行の乗り継ぎで江ノ島がとても近い場所であることが分かったので、この夏はしばしば行ってみたいと思います。
サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェル
サン・マロ湾に浮かぶモン・サン=ミシェル
潮の満ち引き差が15メートル以上あるサン・マロ湾に位置するモン・サン=ミシェルは1979年にユネスコの世界遺産に登録され、
年間300万人以上が訪れるカトリックの巡礼地です。
祭られている守護神は大天使ミカエル。1897年に完成した尖塔の頂上から見守っています。
1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満に関係無く島へ渡れるように渡れるようになりましたが、
逆に自然破壊が指摘され、2009年に地続きの道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成しています。
私は地続きの道路が未だあった時に訪れましたが、2kmほどはある長い道路で、
だんだん近づいてくるモン・サン=ミシェルが印象的でした。
私がこれまで見てきた世界遺産のなかで最も印象的なものの一つです。
この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地でした。
言い伝えによると,708年アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」との
お告げを受けたのがきっかけで礼拝堂を作ったのが始まりのようです。
966年にノルマンディー公1世がベネディクト会の修道院を島に建て、
これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になりました。
モン・サン=ミシェルを見て廻るには最低でも2時間は必要ですが、階段が多いので体力的に厳しいものがあります。
それでも見どころは多いので是非訪れることをお勧めします。
画像の様に、見る方向や時間で変わることも魅力の一つです。
ネモフィラ!
ネモフィラ!
今が見どころの真っ青なネモフィラは海が広がっているようでなかなか見れない景色です。
有名な名所がいくつかあるので掲載します。
○ 茨城県、ひたち海浜公園:
約215ヘクタールの広さを誇る幸区営公園で、一番有名なネモフィラ公園かもしれません。
○ 埼玉県、国営武蔵丘陵森林公園:
約10万本が真っ青に変わります。
○ 大阪府、花博記念公園鶴見緑地:
約123ヘクタールの公園ですが、「丘の上に立つ風車の足下中心にネモフィラが咲き誇り、まるでオランダにいるようです。
○ 福岡県、海の中道海浜公園;
2つの海に囲まれた砂州「海の中道」に位置する国営公園の中に、花の丘を真っ青に染める約120万本のネモフィラ畑があります。
○ 大分県、青の洞門:
耶馬渓(やばけい)は、中津市・玖珠町にまたがる「日本新三景」にも選定されている景勝地です。
その耶馬渓屈指の名勝、競秀峰(きょうしゅうほう)の裾野に位置するのが、禅海和尚が掘り抜いた青の洞門です。
青の洞門の対岸の田んぼ一面に、青く可愛いネモフィラの花が咲き誇り、美しいブルーの世界が広がります。
パタゴニア!
パタゴニア!
世界で一度行ってみたい場所の一つにパタゴニアがあります。
場所は南米アンデス山脈の南端からマゼラン海峡までの南緯40度以南地域の総称です。
国は太平洋側にチリが、大西洋側にアルゼンチンが位置しています。
マゼランが世界一周をはじめて成し遂げたマゼランが先住民が履いていた毛皮の靴を見て、
スペイン語で「大きな足」を意味するパタゴニアと命名したそうです。
行ってみたい理由は日本ではあり得ない地形と風、そして氷河です。
チリ側は氷河期時代に形成された氷河が連なり大規模なフィヨルドが広がっています。
夏と冬で移動速度は異なりますが、平均年間に10~200m移動する様な
ペリト・モレノ氷河(画像)もあり、氷河の崩落が観察出来るなど迫力万点です。
アルゼンチン側には草原の北部と砂漠の南部が広がっているのです。
全く異なる地形が共存しているのが不思議です。
さらに南には南極大陸が位置していますが、マゼラン海峡を越えたその先には
世界一荒いといわれるドレーク海峡が待ち構えています。
マゼラン海峡の真東にフォークランド諸島があります。
こんなところまでイギリスが領土にしていたとは驚きですが、アルゼンチンの占拠に対し、
当時のサッチャー宰相が血相を変えて戦争となり1882=1990年まで武装紛争を展開しました。
イギリスはフォークランドで油田開発をしているのです。
199お年2月5日に戦争状態は終結しましたが、現在もフォークランド諸島の
領有権問題は棚上げされています。
歴史の話は別として、一体どんな感じなのかパタゴニアで体験してみたいのは風です。
一年中風速30m程の風が吹いているとのことなので、台風の中で生活しているのと
同じです。それでも現地の人々は何と言うこともなく暮らしているそうです。
風は主に3つあります。いわゆる偏西風の西風、アンデス山脈から吹き下ろす北風、
そして南極海と太平洋海の気圧差で発生する南風です。
特に、南極からの南風が強くパタゴニアの木々は風に押されて北を向いているそうです。
あまりにも遠いので訪れることは無いと思いますが、
自然のパワーが作り上げる「自然の景観」は是非見たいと思う次第です。
日本三大桜名所・その1
日本三大桜名所・その1
奈良県吉野山(金峯山寺蔵王堂)を中心とした山桜は1300年の歳月をかけて植栽された30000本の見事な桜です。
「一目千本」と称し、下千本、中千本、上千本、奥千本が咲き乱れる姿は圧巻です。出来れば一度訪れて見たいものです。
ヘラクレスの神殿!
ヘラクレスの神殿!
幼少の時代好んで読んだギリシア神話の中で一際存在感があったヘラクレスは、半神半人の英雄で12の功業を果たします。
神話ですから本当かどうかわかりませんがペルセウスの子孫であり、ミュケーナイ王家の血を引いていたというのです。
このヘラクレスの神殿が世界に3つあります。
1つめはローマのフォルム・ボアリウムにあるヘラクレス・ウィクトール神殿です。
コリントスの戦いでアカイア同盟軍を破った共和政ローマの軍人ルキウス・ムンミウス・
アカイクスにより、紀元前2世紀に建てられたといわれています。
2つめはシチリア・アグリジェントに残る世界遺産の考古遺跡の中にあるヘラクレス神殿です。
この考古遺跡には7つのドーリア式神殿があります。最も保存状態の良い
コンコルディア神殿が有名ですが、ヘラクレス神殿は紀元前6世紀に最初に建てられた
最古の神殿です。地震で崩壊し下剤は8本の柱しか残っていません。
以前イタリアに7年間在住していましたが、いずれも訪れていないことが悔やまれます。
3つめはヨルダンの首都アンマンにあるアンマン城塞の中にあるヘラクレス神殿です。
アンマン城塞にある建築物はローマ、東ローマ帝国及びウマイヤ朝の時代のものですが、
ローマ時代の代表的な建築はこのヘラクレス神殿で、西暦162~166年の建設で、
マルクス・アウレリウス・アントニヌス(在位161~180年)のために建造されたと
いわれています。面白いのは神殿の場脇にヘラクレスの手とみなされる石を削って
創られた指があるのです。大きさと思いがけなさに驚きますよね!
北鎌倉と臨済宗!
北鎌倉と臨済宗!
昨日、孫達と源氏山公園に言ってきました。海抜93mの源氏山はJR北鎌倉駅から
浄智寺経由向かうことが出来ます。40分程度で山頂に到着ですが、急な登りもあり
それなりに登山が楽しめます。4歳ともうすぐ3歳の孫達は全く疲れを知らずに登って
行くので驚きました。
源氏山公園からは大仏が出迎える高徳院を経て江ノ電の長谷駅に向かったのですが、
日曜日だったこともあり結構な人出でした。
北鎌倉には7つのお寺があります。最も有名なのは建長寺と円覚寺です。その他には
建長寺派の明月院、長寿寺、円応寺と円覚寺派の東慶寺、浄智寺があります。
いずれも栄西が日本に伝えたといわれる臨済宗のお寺です。
(浄土宗の一派である時宗のお寺・光照寺が少し離れたところにあります)。
鎌倉時代と室町時代は臨済宗を保護していたので、全盛期だったといえます。
臨済宗には1386年に足利義満が決定した五山制度があります。京都の南禅寺を
別格として五山之上として、京都と鎌倉にそれぞれ五山を決定したのです。
それぞれ一~五位の寺格が決められています。
鎌倉の五山は一位から建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺であり、
京都の五山は一位から天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺になります。
北鎌倉は自由ヶ丘から40分強で行けるので、臨済宗のお寺を訪れてみようと思いました。
ヨセミテ国立公園の名前が印象的!
ヨセミテ国立公園の名前が印象的!
1890年に国立公園になったヨセミテ国立公園はカリフォルニア州で最も人気のある
公園でしょう。広さは3081平方キロメートルもあり、東京都の1.4倍です。
1984年にユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されています。
東京都の高尾山登山を繰り返して雄大さを感じている私としては、ヨセミテ国立公園の
規模に驚かされます。
同山脈の中で最大規模の動植物の生息地であり、生物の多様性を育んでいます。
同公園は大きく分けて次の五つのセクションに分けることが出来ます。
ヨセミテ渓谷
ワウォナ、マリポサ・グローブ、グレイシャー・ポイント
トゥオルミ・メドウズ
ヘッチ・ヘッチー渓谷
クレイン・フラット、ホワイト・ウルフ
しかし、年間430万人以上が訪れるのは18平方キロメートル程あるヨセミテ渓谷で
全体の1%にも満たないということです。そこにハーフドームやエル・キャピタン等の
見どころが集まっているようです。(画像は左がハーフドーム、右がエル・キャピタン)。
それとは別に人気があるのは、公園内に展開されている総延長1300キロメートルを
超える、ハイキングコースです。気軽に散策できるコースから、いくつかの山を登る体力を
要するコース、さらには数日をかけてのバックパッキングが必要なコースもあるそうです。
一度体験してみたい気がしますが、古希の年齢では無理かもしれません。
ヨセミテという名前の由来が面白いと感じました。
1851年にアメリカ陸軍ジム・サヴェジ少佐が率いるマリポサ歩兵大隊が、白人として
はじめてヨセミテ渓谷を発見しました。当時ヨセミテ渓谷に住んでいたのはアワニチ族と
いう部族です。「大きな口」という意味の「アワニー」という名の土地だったので、そこに
居住する部族が自らアワニチ族と称していたそうです。同じ場所に温厚なミウォク族も
居住していましたが、彼らはアワニチ族を「殺し屋たち」を意味する「ヨセミテ」と呼んで
いたのです。
マリポサ歩兵大隊に従軍していた医師のパンエルが公園の名付け親になったのですが、
「アワニチ」より「ヨセミテ」の方がアメリカらしいと感じたので「ヨセミテ」にしたと
いうことになっています。最初に聞いた時に縁日の夜店と勘違いしたくらいですから、
「ヨセミテ」もアメリカらしくなく、むしろ日本的な名称のように聞こえます。