肥後細川庭園
肥後細川庭園
晴れた気持ちの良い午後に文京区にある肥後細川庭園を訪れました。ここは江戸時代末期に熊本藩主細川家の下屋敷だった場所です。
池泉回遊式庭園は見事な眺望が得られとても落ち着いた美しい空間を作っています。池の端に滝が流れていてこの池の水はすべて湧き水と雨水で賄われているそうです。四季折々の庭のたたずまいは変化にあふれ驚きがあります。地形の変化を巧みに取り入れて立体的眺望を得ています。門をくぐると江戸時代の雰囲気が伝わってきます。松聲閣はもともと細川家の学問所として使われていたようです。今は江戸文化を様々な形で発信しています。落語や能などここで味わえたら素敵だと思いますが今はコロナ禍で中止になったりしているようです。お庭を歩いて疲れたらここでお抹茶やお菓子を頂けます。のんびりお庭を見ながらの一服は実に心癒されるひと時となると思います。秋にはライトアップなどもしているようです。
この素敵な庭園が無料となっていていつでも気楽に訪れることができるのはいいですね。
孀婦岩(そうふがん、-いわ)!
孀婦岩(そうふがん、-いわ)!
東京の南約650kmに位置するこの岩は東京都に所属し東西84m、南北56m、標高99mの無人島です。
奇妙な名前ですが、イギリスの探検家ミアーズが1788年4月9日に発見しLot‘wife「ロトの妻」と名付けたことに由来します。ロトは旧約聖書に出て来ます。ロトが家族と共にソドムを訪れたときにそのひどさに怒った神が「ソドムを滅ぼすのでソドムから離れろ、しかし、絶対に振り返るな」とロトに伝え、彼は家族とともにソドムを去るのですが、その時に妻が滅ぶソドムを見るために振り返り、
即岩になってしまったストーリーです。
孀婦岩は大昔海底火山が噴火して出来た残りです。海上に現れた火山が一度海中に沈みその後再隆起して地上に出てきたのです。
火山を構成するのは急冷されて出来る玄武岩ですが孀婦岩は安山岩のようです。
火山が噴火した時に火道無いに溜まったマグマがゆっくり冷えることで安山岩になります。
再隆起した火山の頂上部分は風雨や波によって削られ現在のような形状になったのです。
孀婦岩を調査した専門家によると、今後も波に浸食され数百年後には海上から消えるのだそうです。
立ち入り禁止の無人岩ですが、草や虫が生息しているそうです。絶海の孤岩に生き物が生息する理由は3Wといわれています。
鳥のWING、海のWAVE、WIND(風)によって運ばれて来るのです。
ポンペイ!
ポンペイ!
大昔ポンペイという映画を見て凄いことが起ったと衝撃を受けたポンペイには1980年前半に仕事で1度いったことがある。
目的はベズビオ火山の山麓に広がるカメオ工房を訪れて取り扱いの可能性を探るためであった。
ついでに遺跡も訪れて見たが、時間もあまりなく発掘も中途半端だったのであまり感動はしなかった。
ポンペイは約1万人の町だったようだが、紀元79年10月24日に大噴火をして火山灰が町の位階1階部分を埋め尽くし、
その後火砕流が町を襲い全体が消滅したそうだ。
1599年に建築家フォンターナが移籍を見つけて美術品を少し発掘した後埋め戻されたとされている。
1748年に再発見され断続的発掘により建造物の完全な形や当時の壁画が見つかったが資金的な問題から継続することはなかった。
2018年にEUが資金を提供する形で本格的な発掘が再開しているが、慎重な作業と広範囲に亘るため全容が明らかになるのは相当な時間がかかりそうだ。
先日トンガで発生した海底火山や桜島噴火も同じだが、昨今報道されている富士山の噴火が起らなければ良いと思う。
2011年の新燃岳噴火!
2011年の新燃岳噴火!
高千穂連峰に位置する1421mの新燃岳は頂上に大カルデラ湖を持つ活火山で歴史的に幾度となく噴火してきた山です。
1月26日それまで小噴火を続けていましたが、14時49分に、膨大な噴出物やエネルギーを放出するプリニー式噴火を起こしたのです。
当時は報道でも大騒ぎWしましたが、昨日はあれから11年経つ記念の日でした。
霧島地区ではいつ次の噴火が起こるか分からないと警戒を怠っていないそうです。
当時1月25日に仕事で鹿児島に滞在し、26日の午前特急で次の予定地宮崎に向かいました。
霧島神宮駅を通過したのは11時過ぎだったと記憶します。
こんもりと繁った森林を見ると下車して森林浴でもしたい感じでしたが、新燃岳の小噴火など何の変化も感じず通り過ぎました。
宮崎に着いたのは1時頃だったように思います。
予定の仕事を一つ済ませて外に出たときに空を見上げると空が左半分雲に覆われ右半分は真っ青な快晴という景色でした。
写真を撮るのを忘れましたが、天地がひっくり返るような印象で不思議な雲もあるものだと思いました。
その後ホテルでTVを見たときに新燃岳の噴火が大々的に報道されているではありませんか!
噴煙は火口から7000mの上空にまで達したということでしたので、空が真っ二つになったのも納得出来ました。
後で分かったことですがその日の宮崎行き特急列車は私が乗ったのが最後でした。
噴火がもっと早く11時頃であればどうなっていたのだろうと今でも偶に夢に出てきます。
のどかな二子玉!
のどかな二子玉!
二子玉に東急が開発したRISEが誕生して10年は経過したが、交通の便、景観、広い多目的スペース、
便利な商業施設などが魅力で沢山の住人が集まり駅前を闊歩している。
特に気がつくのは子ども連れの若い家族が多いこと。
楽天の本社も来てしまったので土日だけでなく毎日人通りは多いが、それでも広いので何とか持ちこたえている。
歩いても15分~20分くらいの岡本地区の開発が進んでいるので人口はさらに増えるだろう。
自由ヶ丘駅前より凄い駅前などの喧噪感がこれ以上になったら二子玉の魅力が薄れる可能性もある。
しかし、画像の様なのどかな場所もあるので当分は大丈夫な気がする。
良いね・江ノ電!
良いね・江ノ電!
江ノ電は藤沢駅から少し内陸部を通って江の島に至り海沿いを走って鎌倉に行く単線の電車です。車体は緑色とクリーム色で家々のまさに軒先を通るためゆっくりと走ります。沿線に住む人々の生活の足である一方、湘南を訪れる人々の観光の足としての側面もあります。
江の島といえば首都圏の大変有名な海水浴場で夏には多くの家族連れや若者が訪れます。水族館や展望台があったり土産物屋が立ち並んで観光地の賑わいがあります。名物の一匹のタコを薄く伸ばしたタコせんべいはなかなか美味しいのですが、これを美味しいと思うのは人間だけではなく,トンビが急降下してきて口元からさらっていくので油断も隙もありません。
江の島から少し東に「鎌倉高校前」という駅があります。ここは景色が大変美しい場所であるとともに「スラムダンク」という漫画の舞台でもあり、スラムダンクの冒頭の場面にこの駅のすぐそばの踏切が出てきます。そんなわけでスラムダンクのフアンにとってここは聖地でもあるのです。
歴史的にはこの踏切のある日坂は元弘の乱で新田義貞が鎌倉を攻めた時この切通を通って進んだそうです。さらに東へ進んで行くと長谷駅があります。ここには鎌倉の大仏があります。完成当時は金箔に包まれて大仏殿の中に納められていたようですが地震などで倒壊し現在のような露座の大仏となりました。青空の中に製銅色の大仏が座っておられる姿には大変印象深いものがあります。
更に東に行くと鎌倉有数の海水浴場由比ガ浜があり、ここは長いビーチが続きとても解放感があります。今はコロナ禍で夏も海の家などもやっていないですが、いつもなら海の家が並びリゾート感たっぷりの夏のスポットです。
まだまだ江ノ電には魅力的な駅が沢山あります。映画【DESTINY 鎌倉物語】では江ノ電に乗って妖怪の住む黄泉の国へ向かいます。この作中に出てくる駅は和田塚駅。極楽寺駅も出てきます。
銀河鉄道よろしく江ノ電が空を飛んで異世界へ突入していく様は何ともわくわくし現実と夢が交差するような不思議な感覚を覚え益々江ノ電のフアンになりました。
魅力一杯の神戸!
魅力一杯の神戸!
神戸は海と山に囲まれた坂のある美しい町である。
3本の鉄道が東西に走り、おかげで海側も中央も山側も交通がとても便利で暮らしやすい。
山側から見た神戸港を見下ろす夜景は百万ドルの夜景といわれる価値は充分ある。
海のそばにある商業施設モザイクから見る海の景色はザ‘コウベと言う感じ。
気候の良いときはテラスでシュラスコなど食べるのは開放感にあふれて気持ち良いよいことこの上ない。
美味しいものが好きな人にとっても神戸は魅力ある町。
中華街を抱え、また中華街以外にも中華料理店はたくさんありそれぞれの特色や味で飽きさせない。
また神戸牛をはじめとして肉がとても美味しくステーキや焼き肉などリーズナブルな店から高級店までたくさんある。
さらに立ち飲みするような安くて活気があり、おつまみも実に豊富なパブのような居酒屋もある。
なんといってもお好み焼きやたこ焼きに代表されるB級グルメはたくさんあり、
こういった店はいつも人がいっぱいでいかに人気があるかわかる。
食べるものの話になると枚挙にいとまがないが、それとは別に神戸の一押しはそこに住む人々である。
港町ということもあり、昔から人の往来が盛んで外国人も多く住んでいるので日常的に外国人に接する機会もあるせいか、
とてもオープンな人が多くて打ち解け易い。
親切な人が多くこれは人と距離を置きたいという考えと反対に人と積極的にかかわっていきたいという心の表れであろう。
暮らしやすい適度な大きさの町のため歩いていて知人、友人に出会う確率も高く感じる。
このことも人と交わって生きて行くという当たり前の環境が整う一因ではないか?
阪神大震災で大きなダメージを受けそれによる経済的打撃は今も完全になくなったわけではないが、
この魅力ある町が益々元気に活力をもって発展してほしいものだ。
奥州平泉!
奥州平泉!
平泉の町を歩くとここは極楽浄土をこの世に実現した町ではないかと思えてきます。
平安時代に、豊富な産出量を誇る金山をバックにした経済力と巧みな政治的能力で京都との関係を良好に保った奥州藤原氏は、
東北の地にまさにこの世の浄土かと見まがう町を実現させたのです。
奥州藤原氏初代藤原清衡が建立した国宝にもなっている中尊寺金色堂は浄土教建築の代表的な例ですが、
まさにその名の通り堂は総金箔張りで黄金色に輝き、阿弥陀堂建築であるとともに奥州藤原氏の墓堂でもあります。
奥州藤原氏二代基衡が造った毛越寺は度重なる戦や火事で当時の建物はありませんが、極楽浄土をこの世に再現した浄土庭園には
今も周囲の木々や池と共に、落ち着きと静けさを備えた美しさがあります。
このスケールの大きさはより広い開かれた宗教的空間の中に包まれるような心地良さを感じさせます。
奥州藤原氏が生まれるにあたっても多くの親族の血が流され、心の平穏を強く求める気持ちがあったのでしょう。
無量光院は奥州藤原氏三代秀衡が京都の平等院を模して造ったものです。
当時はきらびやかな寺院でしたが今は度重なる火災でその跡が残るのみなのです。しかし実際にその地に立つと、
その上手くデザインされた池や中島、背後の金鶏山、そして太陽や空と共にこの世の極楽浄土にいるような感覚を覚えました。
奥州藤原氏の栄華も約百年をもって源頼朝によって終わりを告げるのですが、
残された歴史的遺産は大きく今も燦然と黄金のように輝いています。
クリスマス!
クリスマス!
師走ともなるとすっかり寒くなって、暖かいコートに中ボアのブーツをはいて首元にマフラーを巻いていても夜になると風は冷たく体も冷えてきます。
そんな時にそこここで目を楽しませてくれるクリスマスイルミネーション。
大崎で見た目黒川沿いのピンクのイルミネーションは、“もうすぐ春になって暖かくなれば桜の花も咲きますよ”というメッセージのように見えます。
ライトニングが川面に映りとても幻想的です。
新宿はサザンテラスのイルミネーションが毎年綺麗です。今年は高島屋の外壁を飾る華やかなイルミネーションは見当たりませんでしたが、
それでも美しい色合いの光が寒い体を温めて心をほっとさせてくれました。
原宿の表参道は現代的なセンスの光るブランド店のウインドーを楽しみながら、カルティエのクリスマスツリーを見に行きました。
残念ながら昼間なので光の美しさは見ることができませんでしたが、シンプルで素敵なツリ―を見ることができました。
コロナ禍のさなか少し控えめではありますが、かえって落ち着いた雰囲気の東京のクリスマスです。
ローガン山!
ローガン山!
北米で一番高い山と言えば6193mのデナリ山「旧マッキンリー山」ですが、カナダにもでかい山があります。
その名はローガン山で5959mの高さです。
米国のアラスカ州に近いですが、カナダのユーコン準州にそびえています。
この場所はクルニア国立公園の保護区域に定められていますが、グリーンランドを覗くと世界最大のクルニア氷原がローガン山を守っていて見ることも行くことも簡単ではありません。
この山は5000m以上の頂が11個もある世界最大の山麓を誇ります。
ヒマラヤに世界第3位のカンチェンジュンガ山が5つの頂を持ち雄大な感じなのですが、
ローガン山はそれより規模が大きい山塊と言えるでしょう。
5000mを超える場所は極寒で、夏は約0度、冬は約-45度、年間平均で約-27度ですから、
私などはとても行こうという気がしません。
面白いと思うのは、ローガン山が現在も造山活動が続いていることです。
5959mは1992年の測量結果ですから現在は6000mを超えているかもしれません。
さらに将来北米で一番高い山になる可能性も秘めているのです。