世界のイルミネーションを覗いてみよう!
世界のイルミネーションを覗いてみよう!
毎年クリスマスから年末、そして1月にかけて世界でイルミネーションの美しい情景が広がります。壮大なもの、美しいもの、変わったもの等、造形も色彩も様々で楽しいですね。
年末年始にかけて少し覗いてみましょう!
① ニューヨーク・エンパイアステートビル
② パリ・ギャラリーラファイエット
③ ミラノ・ドゥオモ広場
④ ローマ・サンピエトロ寺院広場
⑤ ロンドン・コヴェントガーデン
⑥ コペンハーゲン・チボリ公園
⑦ スイス・ハイジの村
⑧ 東京・目黒川
⑨ 京都・るり渓温泉最後の贈り物
⑩ 最後は小田原城・桜・梅・菊・すべての花
支笏湖氷濤まつり!
支笏湖氷濤まつり!
新千歳空港からおよそ1時間の場所に位置する支笏湖。2016年に行われた公共用水域水質調査で、湖沼部門では支笏湖が10年連続日本一になったと環境所が先日発表しました。湖沼部門はCOD「化学的酸素要求量」の数値を調査するのですが、全国187水域で調査した結果、支笏湖が最も低い0.7ミリグラムだったそうです。支笏湖は入河川が少ないことや水温が低いため微生物が増えないこと等の理由で、長期にわたり水質を維持しているのだそうです。
最寄りの支笏湖温泉で毎年「支笏湖氷濤まつり」が開催されているのを御存じでしょうか?
1月末から約半月間開催されるこのまつりは、上川町の「層雲峡氷まつり」や札幌市の「さっぽろ雪まつり」と並び、北海道の冬を代表するイベントとして有名です。支笏湖の水をくみ上げて作る色とりどりの氷像は、ライトアップとともに幻想的な雰囲気を醸し出します。一度訪れてみてはいかがでしょうか?画像は支笏湖とまつりの風景です。
日本三大夜景!
日本三大夜景!
日本人はどちらかというと日本三大・・・・・というのが好きなようです。ここで取り上げるのは三大夜景です。
① 函館市の南西に位置し、海抜334メートルの函館山の展望台からは、函館湾と津軽海峡に湾曲のシルエットを描くように挟まれた函館の市街地が輝いています。
② 神戸市の北側に位置する標高702メートルの摩耶山。山頂からは大阪平野や神戸市街地等、西日本屈指の経済圏を一望することが出来ます。延々と続く市街地の灯りで大阪湾のシルエットが際立っていますね。
③ 長崎港の西側に位置する標高333メートルの稲佐山。山頂からは長崎市街地が一望できます。女神大橋のライトアップもいいアクセントになっています。近年、世界新三大夜景にも選定され注目度が上がっています。
これら三大夜景の共通点として次の様な事があります。
・山から見下ろす夜景であること
・山から市街までの距離が近いこと
・海と港が絡む夜景であること
・地上から山頂までロープウエイ・ケーブルカーが運行されていること
ところが、人気度からすると、2015年に函館山が札幌にとって代わられたようです。札幌駅にあり、北日本で一番高い160メートルのJRタワー展望台T38から見渡せる、札幌市街の夜景が素晴らしいということのようです。
しかし、ここは三大夜景としての共通点に欠けていることが多いので、やはり函館山の方が良いのではないでしょうか?
佐渡島の黄金伝説、佐渡金銀鉱山!
佐渡島の黄金伝説、佐渡金銀鉱山!
日本最大の離島、佐渡島は面積855平方キロメートル程で東京都23区の1.5倍に相当します。ここにユネスコの世界文化遺産への登録を目指す佐渡金銀山はあります。佐渡島は12世紀前半の平安時代末期には既に「金の島」として知られていました。佐渡金銀山は3つの鉱山で構成されています。1460年頃操業が開始された西三川砂金山、1542年に発見された鶴子銀山、そして1601年に発見された相川金銀山です。金銀山を重視した徳川家康は、江戸幕府を築いた1603年に佐渡を直轄地の天領として、鉱山経営に通じていた側近の大久保長安を佐渡代官として送り込み、この大きな財源を確保したそうです。300年の鎖国期間を維持できたことも、この金銀山があったおかげと考えられているので、すごい先見の明と言えます。にわかにゴールドラッシュの地となり、17世紀前半には人口が5万人を超えました。佐渡島は流刑の地としても有名で、罪人たちが鉱山で働かされたとの印象を持たれがちですが、実際は大半が技術を持った職人や町人だったそうです。
この金鉱脈は東西3キロメートル、南北600メートル、深さ800メートルの範囲内に集中していて、アリの巣のように掘られた坑道は総距離400キロメートルに及ぶそうです。これまで採掘された金の総量は78トン、銀は2330トン。金は鹿児島県の菱刈鉱山に抜かれましたが、銀の採掘総量は今でも日本一です!画像は相川金銀山のシンボル「道遊の割戸」。金鉱を掘り進むうちに、山頂部がVの字に割れ、幅は約30メートル、深さは74メートルもあるそうです。
奥飛騨の秘湯に輝く氷柱群【青だる】!
奥飛騨の秘湯に輝く氷柱群【青だる】!
平家の落武者伝説を残す奥飛騨、福地温泉。ひなびた山里の風情が残り秘湯気分が味わえる温泉です。毎年12月下旬から3月下旬まで、奥飛騨温泉郷全体で行われている、冬ならではのイベント「奥飛騨冬物語」。これに合わせて、福地温泉では温泉街で幻想的な【青だる】ライトアップが実施されます。【青だる】とは、寒さ厳しい福知山奥の岩から染み出した水が凍りついて、青い氷の帯のように見える現象です。実際は山奥でしか見られない自然の贈り物ですが、福地温泉では沢の水を温泉街の木々に噴霧し、【青だる】を作り出しています。
柔らかな光でライトアップされた氷柱群。氷のカーテンが織りなす幻想的な世界は、人の手によって再現されたとは思えない自然美です。一度は訪れてみましょう!
自然、歴史、食文化溢れる、豊穣の県【熊本】!
自然、歴史、食文化溢れる、豊穣の県【熊本】!
くまモンブームから一躍注目されている熊本県。昔は「火の国(肥の国)」とも呼ばれ、「肥後もっこす」の県人気質から頑固一徹の県の様な印象を受けがちですが、色々資料を読んでみると、見どころも食べどころもたくさんあって、すべての面で豊穣感があふれる素晴らしい県であることがわかります。
世界最大級のカルデラを誇る「阿蘇くじゅう国立公園」と大小120の島からなる「雲仙天草国立公園」の2つの国立公園を持ち、有明海は沖合まで干拓が続き、希少動物や海産物の宝庫も抱えています。九州の真ん中に位置し、山あり海ありの美しい景観に富んだ地形が訪れる観光客をお迎えします。
加藤清正やそれに続く細川藩肥後54万石の歴史と伝統がいたるところに息づき、訪れる人たちの興味を失わせることはありません。温暖な平野から山間部の寒冷な気候まで、幅広く豊かな自然を生かした農林水産業も盛んです。例えば、スイカ、トマト、イチゴ、い草、車エビなどの生産量は日本でもトップクラスです。豊富な食材を使った郷土料理もたくさんあって観光客は迷うのではないでしょうか?
もう一つ注目したいのは、熊本県が地下水の国でもあることです。人口74万人の熊本市は、上水道に流れる水をほぼ100%地下水で賄っており、世界でも稀な地下水都市なのです。阿蘇山に降り注いだ雨は、これまでの阿蘇山の噴火で堆積した水が浸透しやすい熊本の地層を経由して、約20年かけて熊本市に達します。その間、水は浄化され、さらにミネラル分も溶け込んで、体にやさし天然水になるのです。
これから「熊本県応援隊」のタイトルで続きを書いていこうと思います。
日本橋五街道、江戸四宿、内藤新宿、追分、落合!
日本橋五街道、江戸四宿、内藤新宿、追分、落合!
関東に徳川家康が江戸幕府を開府するのを機に、日本橋を拠点とする5街道が整備されました。人の行きかう処に宿場があり、各街道の最初の宿場町は、「江戸四宿」と呼ばれていました。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道の千住宿。甲州街道は当初高井戸宿が最初の宿場だったのですが、16km以上離れている為、いささか遠いのではないか?との理由から、途中に新たな宿場が作られることになり、「内藤新宿」が誕生しました。「新宿」は新しい宿場を表しています。「内藤」はこの宿場町の脇が徳川諸代の大名である、高遠藩内藤家の下屋敷があったことに由来します。5街道の最後はどこかというと、日本橋小網町にある行徳河岸と千葉県市川市の行徳を行き交う海上航路の行徳船航路でした。海上に宿場ができるわけもなく、江戸四宿なのです。
かつて、街道が二つに分かれる地点を「追分」と呼び、今でも地名に残っています。甲州街道を四谷から西に向かって行くと新宿三丁目の交差点に辿り着きます。ここが、甲州街道から青梅街道の追分です。この交差点を中心に伊勢丹の点対称の位置に「新宿元標」として、追分であったことの記念碑と路面にパネルがはめ込まれています。
ちなみに、川が合流する地を「落合」といいます。高田馬場に近いところに「落合」という地名がありますが、そこは、神田川と妙正寺川の合流地点です。水利によって江戸時代初期から染色工業の中心地の一つとして賑わい、現在でもクリーニング工場など、繊維関連企業が集中しています。(投稿者:K・K)
内藤トウガラシ!
内藤トウガラシ!
天下泰平が300年も続いた江戸時代。特に目立った特徴のない荒野の関東八州を、徳川家康が所領としてあてがわれたところから、江戸の文化が始まりました。日本橋を起点とする五街道が江戸城を中心とする街づくりに寄与したようです。そして、その街道沿いに宿場町が生まれ、江戸の町に人が集い、広がって行きました。現在の甲州街道は西へ向かい、新宿を経由して高井戸、八王子へと進みます。江戸時代、日本橋からこの街道を進み、四谷大木戸の関所(今の四谷四丁目交差点)をくぐると、目の前には宿場町「内藤新宿」が続きます。人で賑わう通りの両脇には多種多様な店が軒を連ね、裏手の軒先には畑が広がっていたようです。秋深くなる時期には緑鮮やかな葉の間に、鮮やかな真紅の剣先を空に向けた「内藤トウガラシ」がたわわに実っていたそうです。このトウガラシは八房系に分類され、葉の上に天に向かって房状に実るのが特徴です。一面のトウガラシ畑は、赤と緑の見事なコントラストを成し、それはそれは、目を見張る光景だったことでしょう!(投稿者:K・K様)
世界一急勾配の登山電車、運行開始!
世界一急勾配の登山電車、運行開始!
12月17日からスイスで世界一急勾配の登山電車が運行します。場所は中部都市シュビーツと海抜1300メートルの山岳村落シュトースを結んでいます。航路の走行距離は1738メートルで標高差は743メートル、そして最大勾配はなんと47.73度もあります。この急勾配のための“たる型”の車両に、設計と建設に14年をかけたそうです。47.73度の急勾配時も乗客はまっすぐ立っていられるそうです。
日本一の急勾配登山電車は高尾山にあります。全長1020メートルで標高差は271メートル、そして最大勾配は31.18度ですから、スイスの登山電車がすごいことがわかります。スイスに行かれた時に乗ってみては如何でしょう!
全国一位の生産、讃岐うどん!
全国一位の生産、讃岐うどん!
日照時間の長い瀬戸内式気候で平野が多い香川県は、昔から水田が広がる一大穀倉地帯でした。江戸時代初頭ころから二毛作が盛んになり、小麦の生産が増加したことが讃岐うどんの原点です。特にうどんが広く知られ始めたのは金毘羅門前町の活況で、お参りに来る参拝客用の旅籠の一階はほとんどがうどん屋だったそうです。明治時代になると高松市内にうどんの行商人や屋台が増え、特に鰹節とだしをかけただけの“ぶっかけ”が人気だったそうです。香川県の家庭で当たり前に食べられた“うどん”が全国に広まっていったのにはそれほど時間はかからず、現在では各県で食べられるようになっています。
讃岐うどんとして、名産、特産、本場、名物等を表示する場合は、公正取引委員会などが定める下記の基準がありあることをご存知でしょうか?
・香川県内製造されたもの
・手打、手打式(風)のもの
・加水量-小麦粉重量に対し40%以上
・食塩-小麦粉重量に対し3%以上
・熟成時間-2時間以上
・ゆでる場合-ゆで時間約15分間で十分アルファ化されていること
讃岐うどんの人気店については、様々なグルメサイトがランキングを掲載しています。中でも、【補聴器のやまだ】様から車で5分くらいの所にある「山越うどん」は有名で、どのサイトでも上位にランクされています。毎日いろいろな県の方々が車で訪れて行列を作っています。釜玉うどんの元祖とも言われるこのお店に入ると、注文を次々に聞いてくれる女将さんが迎えてくれるのですが、その記憶力の良さに驚かされますよ!1度はぜひ訪れてみてください。