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日本橋五街道、江戸四宿、内藤新宿、追分、落合! - 天と地にある物事を想い巡らすサイト!よろず放談

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日本橋五街道、江戸四宿、内藤新宿、追分、落合!

カテゴリ: 散策 公開日:2017年12月21日(木)

日本橋五街道、江戸四宿、内藤新宿、追分、落合!

関東に徳川家康が江戸幕府を開府するのを機に、日本橋を拠点とする5街道が整備されました。人の行きかう処に宿場があり、各街道の最初の宿場町は、「江戸四宿」と呼ばれていました。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、日光街道の千住宿。甲州街道は当初高井戸宿が最初の宿場だったのですが、16km以上離れている為、いささか遠いのではないか?との理由から、途中に新たな宿場が作られることになり、「内藤新宿」が誕生しました。「新宿」は新しい宿場を表しています。「内藤」はこの宿場町の脇が徳川諸代の大名である、高遠藩内藤家の下屋敷があったことに由来します。5街道の最後はどこかというと、日本橋小網町にある行徳河岸と千葉県市川市の行徳を行き交う海上航路の行徳船航路でした。海上に宿場ができるわけもなく、江戸四宿なのです。

かつて、街道が二つに分かれる地点を「追分」と呼び、今でも地名に残っています。甲州街道を四谷から西に向かって行くと新宿三丁目の交差点に辿り着きます。ここが、甲州街道から青梅街道の追分です。この交差点を中心に伊勢丹の点対称の位置に「新宿元標」として、追分であったことの記念碑と路面にパネルがはめ込まれています。

ちなみに、川が合流する地を「落合」といいます。高田馬場に近いところに「落合」という地名がありますが、そこは、神田川と妙正寺川の合流地点です。水利によって江戸時代初期から染色工業の中心地の一つとして賑わい、現在でもクリーニング工場など、繊維関連企業が集中しています。(投稿者:K・K)