6月2日は何の日?
6月2日は何の日?
6(ロ-)2(ズ)で薔薇の日でした!
横浜中区に「山手イタリア山庭園」があり、沢山の薔薇が咲いて綺麗だそうです。
一度訪れて見てはどうでしょうか?
藤井五冠の防衛戦は続く!
藤井五冠の防衛戦は続く!
5月に叡王戦があり、藤井五冠が出口六段を3-0で退け防衛した。
渡辺名人も斎藤八段を4-1で退け名人3期になった。今年中に藤井五冠に渡辺名人が挑戦するタイトル戦があるかも知れない。
藤井五冠はタイトル戦13連勝で羽生九段に並んだと同時にタイトル戦勝利8回で故木村永世名人と加藤一二三元名人に並んだ。
いずれも19歳での達成は凄いことで信じられない面がある。
今後もタイトル戦は続くが厳しい相手がタイトル奪取を狙って待ち構えている。
6月は棋聖戦で相手は永瀬王座、7月は王位戦で相手は豊島九段。
両棋士はこれまでの藤井五冠の差手を徹底的に研究し、AIも活用しながら新手も出してくるのは必至。
盤面に顔を近づけて読みに耽り、苦悩する藤井五冠の姿が目に浮かぶようだ。
藤井叡王・防衛!
藤井叡王・防衛!
24日#叡王戦#第3局があり藤井叡王が109手で出口六段を破り初防衛を果たした。
負けた出口六段は悔しくて泣いていたらしい。
ABEMATVで観戦していたが、入れ替わり登場する解説者の予測が凄いので、
彼らの誰かが対戦したら藤井叡王は負けるように思ったが、実際は違うらしい。
これでタイトル戦13連勝で歴代2位の羽生球団に並んだ。
19歳での達成は今後破られるかどうか分からないほどの出来事でもある。
次は永瀬王座が挑戦する#棋聖戦#である。
永瀬王座は一番の研究仲間なのでこれまでで一番厳しいタイトル戦になるかも知れない。
コロナ禍・ロシアの暴挙・合いと希望のロックンロールソング!
コロナ禍・ロシアの暴挙・合いと希望のロックンロールソング!
コロナ禍が始まって3年目、東京では少し減ったといっても相変わらず毎日1000以上の感染が続き、
中国では遇直にゼロコロナ政策を曲げず上海や北京がひどい目に遭っている。
さらに驚くのは北朝鮮で発熱患者が急増し政府が慌てふためく中、
柳の葉を煎じて飲めとかタバコを吸うな等訳の分からない事を金正恩がタバコをぷかぷか吸いながら怒鳴りまくっている。
ロシアのウクライナ侵攻が3ヶ月ほどになりマンネリ化したと思ったときに、マリウポリが陥落したとかロシアが攻撃を強めているとか、
新たに不穏な報道が流れており、この先世界情勢がどうなるのか分からない不透明感だけが広がっている。
そんな状況下、素晴らしいミュージシャンである桑田佳祐が世界中の子供たちの明るい未来を願う新曲を書き下ろしたそうだ。
その名は「時代遅れのRock‘inRollBand」。
同世代(66歳)の佐野元春、世良公則、Char、野口五郎が加わって熱唱するらしい。
歌詞には「この頃平和という文字がおぼろげに霞んで見えるんだ、意味さえうつろに響く」、「No More No War 悲しみの 黒い雲が地球を覆うけど 力の弱い者が 夢見ることさえ 拒むというのか?」などのストレートな想いが込められているそうだ。
5月23日に配信リリースされる様なので聞いてみようではないか!
人生を彩る通販!
人生を彩る通販!
時々通販を利用します。日用品は気に入った物を何度もリピートしています。
ドラッグストアで買うより安いし家まであっという間に届けてくれるし使い勝手がいいです。ネットスーパーは体調が悪い時試して見ました。生鮮食料品も日用品も重い物も持って来てくれるし、価格もリーズナブルで本当に助かりました。
これで買い物に行けない時も大丈夫と言う安心感も大きいです。どこに買いに行けば良いかわからないものも通販は便利です。
例えば災害時を想定して簡易トイレが欲しかったのですが、なかなか手に入れるに至らなかったのですが、
絶対必要だと強く思った時その瞬間その場で注文しましたら、次の日に送られて来ました。
成功ばかりではありません。先日服を買ったのですが結構日数がかかって送られて来たものは全く気に入らず即返品。
送料が無駄になりますが気にいる時もあるのでたまには空振りもあると納得しています。
店頭で品物を見て買うのは大好きでいろんな発見や刺激があり基本的にはこれが一番ですが、
選択肢として結構強力な魅力を持った通販があると言う事で生活に彩りと便利さが加わり良い時代だと痛感しています。
たん熊 北店 二子玉店!
たん熊 北店 二子玉店!
久しぶりにレストランで夕食を摂った。
訪れたのは二子玉高島屋南館11階にあるたん熊 北店。
昭和3年京都高瀬川のほとりに誕生したたん熊は創業者の栗栖熊三郎氏が自らが修行した老舗「たん栄」のたんと
自身の名前熊三郎の熊を合わせて「たん熊」としたものだそうだ。
現在は長男が経営するたん熊 北店と長女が経営する本家たん熊に別れているが、日本中に展開しているのはたん熊 北店の方である。
お店に入って先ず驚いたのは京都の有名店と言うことで敷居が凄く高いと思っていたら、
そんなことはなくとても暖かく迎えてくれて大変も居心地の良いところだった。
料理は会席料理だけかな?と思ったら一品料理も多くあり、カウンター席迄あったのには驚いた。
副店長に聞いたら昼食にカウンターで一品料理を注文する常連客が多くいるとのこと。今度は昼にと誘惑された感じであった。
昨日は初めてだったのでいくつかある会席料理の中で葵「和牛石焼きコース」を注文した。
メインの和牛石焼きの前にいろいろな料理が出てきたが、量的に多すぎることもなくとても満足出来る内容であった。
もう一つ驚いたのはワインが安いことである。種類はそれほど多くないが赤も白も3850円(税込み)均一なのである。
他のレストランではもっと高いところが多いが、たん熊のワインは納得できる価格であった。
コロナ禍での自粛にも飽きたのでそろそろレストラン巡りをしたいような気分にさせてくれた素敵なお店であった!
新幹線の軌跡!
新幹線の軌跡!
2015年6月末まで勤務していたスイスの補聴器メーカー・バーナフォン時代、
北海道を除く全国の補聴器販売店を訪れるのに幾度となく乗った新幹線!
現在は日本の移動手段の大動脈で、時間価値を最大限生かす為にもなくてはならない存在である。
生まれたのは東京オリンピックが開催された1964年であった。
日本の鉄道は欧州や米国の線路幅1435mmに対し1067mmとされた。
理由は国土が狭いし建設費が安いからであった。
新幹線の線路幅は超高速を想定し欧州や米国と同じ1435mmに拡張されたのである。
1964年10月1日6:00に東海道新幹線・超特急ひかり1号は新大坂に向けて走り出した。
このひかり1号は丸鼻が目立つ0系であった。
現在では何と速さを感じさせないデザインだと思えるが、当時はとてつもなく斬新なデザインだと感じたものである。
新幹線自体も高度成長時代の中で拡張され東海道から山陽で博多まで伸び(1975年3月)、東は東北で青森、
北は長野、新潟に延び、その後九州新幹線で鹿児島、北陸新幹線で金沢、さらに北は」函館まで達している。
引き続き札幌と長崎への到達がすぐそこまで来ているのである。
スピードも最高速度210km/hでスタートしたが現在は320km/h迄高速化している。
デザインも色々あるので忘れないように掲載しておく(画像が鮮明でないのはご容赦)。
丸鼻の0系(210km/h):
鋭く尖った鼻の100系(230km/h):
陸奥を行く緑の丸鼻200系(275km/h):
フルモデルチェンジの300系(270km/h):
在来線との併用400系(240km/h):
環境配慮のカモノハシ700系(285km/h):
カモノハシの先鋭型N700系(285km/h):
2階建ての元祖E1系(240km/h):
秋田行きE3系0番台(275km/h):
高速鉄道史最大の輸送能力を誇るE4系(240km/h):
観光用に改造されたE3系700番台(275km/h):
最近は全く新幹線に乗らないので不明だが、その他E5,E7,W7系もあるらしい。
新幹線が出来たおかげで世界でも高速鉄道の必要性が共有化され実現化している。
フランス、ドイツ、スペイン、イタリア、スウェーデン、米国、中国、台湾、韓国で運行されているが、
自国の高速鉄道が一番速い事を競っている傾向がある。
高速鉄道の課題は速度だけではなく利便性や安全性さらには環境にも気配りが必要な事を分かっていない国が多いようだ。
地震多発国でありながら世界に先駆けて新幹線を作り上げ、様々な課題をコントロールしつつ運行し、
さらにそのノウハウを提供している日本に対して世界はもう少し尊敬の念を払ってはどうだろうか?
建築家・安藤忠雄と直島!
建築家・安藤忠雄と直島!
安藤忠雄は独学で世界的建築家になった人物である。
テレビで偶に拝見するが笑顔を見たことがほとんど無い。ラグビーの稲垣のような存在である。
建築界では一匹狼と言われる奇才だが独学で建築家になったことが有名である。
作品も独特な発想から表現されるものが多く多くのファンが世界に存在する。
1級建築士の資格を取る条件の1つは「大学、短期大学、高等専門学校、専修学校等において指定科目を修めて卒業した者」であるが、
彼はこれらの学校に通っていないのでまず独学で2級建築士になり、7年以上の実務経験を経て1級建築士になった経歴を持つ。
通常の社会では往々にして学歴主義がまかり通るが、建築業界では学歴主義ではなく師匠主義が偉そうにしているらしい。
安藤忠雄はそれすらも無視して自分の道を歩んでいるので一匹狼と言われるのであろう。
僕が安藤忠雄を認識したのは直島であった。岡山県玉野市からすぐそばに位置する島だが香川県に属するのが不思議でもある。
港に近づくと草間彌生のカボチャが置かれていて、島そのものが芸術のような印象を与える。
ここに安藤忠雄が設計したベネッセハウスムミュージアムや地中美術館がある。
安藤忠雄建築の全体の印象としては空間を大切にする事があるように思った記憶がある。
こんな一面もあるのかと思ったのは改築された熊本駅であった。
熊本は補聴器の仕事で何十回と通ったところであるが、新幹線が通るようになっても古ぼけた駅であったのに、
ある日訪れたら木で覆われた要塞の様になっていてびっくりした思い出がある。
正に偉大な建築家であろう!
キューバンサルサ!
キューバンサルサ!
先日、南米の友人に誘われてキューバンサルサのレッスンとパーティーに参加しました。
サルサ音楽は1930年代のキューバ音楽,ソンやルンバから発展したとされています。
サルサダンスは1960年代後半から1970年代前半のニューヨークでプエルトリコ人やキューバ人の間で流行したそうです。
実に乗りのいい曲で聞いていると自然に踊りたくなります。
輸入食品などを売っているカルディではいつもサルサがかかっていて、
買い物をしているとその音楽の軽快さに心楽しくなりつい財布のひもが緩くなります。
サルサはカジュアルな服装でどこででも気楽に踊れます。
打楽器が刻む心地良いリズムが魅力です。たくさんの人たちが踊っているのをサングリアを飲みながら見ていると
心地良く揺れているのを感じます。
音楽にのって体を動かすのは人間が古来からもっている楽しみの一つなのでしょう。私はいつもオンワンというスタイルで踊るのですが、
たまたま出会ったキューバンスタイルの魅力にこのスタイルでも踊ってみたいと思いました
。南米の人たちはとっても陽気で楽しむのが本当に上手です。初夏の陽気に誘われてバーベキューを楽しみながらサルサ、
夏になればビーチでサルサ、コロナ禍の前はこんな楽しみ方ができましたが、
今年かあるいは来年かまた平和で心躍る時代が戻ってきてほしいです。
山手線と第2山手線構想!
山手線と第2山手線構想!
山手線は1日約450万人が利用する世界一の路線である。日本の文明開化期に鉄道は私鉄が主導で始まっている。
山手線も私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の埼玉県、群馬県、栃木県、
さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設したもので、始めは赤羽駅― 品川駅および大井町駅間を結ぶ路線であった。
その後東京市街地の拡大に伴い、市街をめぐる大都市の基幹交通路線に性格を変えていったのだが、
現在の完全環状線に至るまではいろいろな段階がありかなり複雑である。
日本鉄道が国有化されたのが1906年で電車が客車として運行されたのは1909年、
現在の様に環状運転が実施されたのは品川―池袋―田端駅間の複線化が完成した1925年になる。
当時の1周所要時間は72分であったが現在が59分になっている。
山手線と平行してさらに外側に第2の環状線を作る構想は1890年頃にあったが関東大震災でその構想は霧散した。
それを再現させようと立ち上がったのが小田急の創設者である利光鶴丸で、計画は大井町から州崎町まで画像の様なものであった。
建設費としての見積もりは当時3400万円(現在換算950億円)の巨額であったため、
彼は1928年に東京山手急行電鉄を立ち上げ株式を募った。
資金集めは順調に進んでいたのだが、ニューヨーク株式市場の暴落に起因する世界大恐慌が1929年に起こりこの計画は頓挫した。
執念深いというかしぶといというか彼は1936年に大井町ー駒込間に縮小した計画を国に申請したのだが、
1937年の日中戦争及び190年の太平洋戦争勃発でこの計画も断念せざるを得なかった。
不運としか言いようがない経過だが、当初の第2山手線が実現していれば東京都心はもっと広くなっていたであろうし
経済効果も莫大だった様に思う。
但し東京集中が益々進んでいるとすれば、現在我々が抱える様々な問題に対処するのが厳しくなっていたこともあるので、
どちらが良いか判断するのは難しいようにも思える。