キューバンサルサ!
キューバンサルサ!
先日、南米の友人に誘われてキューバンサルサのレッスンとパーティーに参加しました。
サルサ音楽は1930年代のキューバ音楽,ソンやルンバから発展したとされています。
サルサダンスは1960年代後半から1970年代前半のニューヨークでプエルトリコ人やキューバ人の間で流行したそうです。
実に乗りのいい曲で聞いていると自然に踊りたくなります。
輸入食品などを売っているカルディではいつもサルサがかかっていて、
買い物をしているとその音楽の軽快さに心楽しくなりつい財布のひもが緩くなります。
サルサはカジュアルな服装でどこででも気楽に踊れます。
打楽器が刻む心地良いリズムが魅力です。たくさんの人たちが踊っているのをサングリアを飲みながら見ていると
心地良く揺れているのを感じます。
音楽にのって体を動かすのは人間が古来からもっている楽しみの一つなのでしょう。私はいつもオンワンというスタイルで踊るのですが、
たまたま出会ったキューバンスタイルの魅力にこのスタイルでも踊ってみたいと思いました
。南米の人たちはとっても陽気で楽しむのが本当に上手です。初夏の陽気に誘われてバーベキューを楽しみながらサルサ、
夏になればビーチでサルサ、コロナ禍の前はこんな楽しみ方ができましたが、
今年かあるいは来年かまた平和で心躍る時代が戻ってきてほしいです。
戦争の行方!
戦争の行方!
2月24日にロシアのウクライナ侵攻が始まってから既に2か月以上が経過した。
国外に避難した人たちは祖国に帰りたいのに帰れないもどかしさを抱えつつ、その暮らしを立てるのに苦労している。
仕事を見つけようとしても言葉の壁があったり、全てを一から始める生活は本当に大変ではないか?
一方ウクライナに残った人たちは戦火に晒され、攻撃に怯えながらも必死で生きている、あるいは理不尽にも殺された人たちが沢山いる。
誰もがこんな状態を望まないのにある日突然国境を越えて隣国のロシアが侵攻してきたのだ。
ウクライナ人の国家を守る強い意志に加え西側諸国の経済制裁やウクライナへの武器供与もあり、
ロシアは思ったように出来ないことに苛立ち益々エスカレートした発言をしている。
プーチンが「ロシアは他国の持っていない武器を持っており必要に応じて電光石火の如くそれを使う」と発言したが、
これ派ウクライナだけでなくその他の国も対象となるので、世界は今とんでもない状況に晒されていると考える必要があるのではないか?
日本は今日からゴールデンウィークで、本来なら浮き浮きした気持ちで初夏の陽気を楽しむところだが、気分的に開放感が感じられない。
戦争が早く終わり、ウクライナの人々に穏やかな日常が戻って欲しい、そう望むばかりである!
山手線と第2山手線構想!
山手線と第2山手線構想!
山手線は1日約450万人が利用する世界一の路線である。日本の文明開化期に鉄道は私鉄が主導で始まっている。
山手線も私鉄の日本鉄道が当時国内有数の貿易港であった横浜港と関東地方内陸部の埼玉県、群馬県、栃木県、
さらに東北地方および北陸地方方面を結ぶ貨物線として建設したもので、始めは赤羽駅― 品川駅および大井町駅間を結ぶ路線であった。
その後東京市街地の拡大に伴い、市街をめぐる大都市の基幹交通路線に性格を変えていったのだが、
現在の完全環状線に至るまではいろいろな段階がありかなり複雑である。
日本鉄道が国有化されたのが1906年で電車が客車として運行されたのは1909年、
現在の様に環状運転が実施されたのは品川―池袋―田端駅間の複線化が完成した1925年になる。
当時の1周所要時間は72分であったが現在が59分になっている。
山手線と平行してさらに外側に第2の環状線を作る構想は1890年頃にあったが関東大震災でその構想は霧散した。
それを再現させようと立ち上がったのが小田急の創設者である利光鶴丸で、計画は大井町から州崎町まで画像の様なものであった。
建設費としての見積もりは当時3400万円(現在換算950億円)の巨額であったため、
彼は1928年に東京山手急行電鉄を立ち上げ株式を募った。
資金集めは順調に進んでいたのだが、ニューヨーク株式市場の暴落に起因する世界大恐慌が1929年に起こりこの計画は頓挫した。
執念深いというかしぶといというか彼は1936年に大井町ー駒込間に縮小した計画を国に申請したのだが、
1937年の日中戦争及び190年の太平洋戦争勃発でこの計画も断念せざるを得なかった。
不運としか言いようがない経過だが、当初の第2山手線が実現していれば東京都心はもっと広くなっていたであろうし
経済効果も莫大だった様に思う。
但し東京集中が益々進んでいるとすれば、現在我々が抱える様々な問題に対処するのが厳しくなっていたこともあるので、
どちらが良いか判断するのは難しいようにも思える。
2022年度の将棋界!
2022年度の将棋界!
4月から2022年度の将棋界が始まった。
昨年同様中心棋士は五冠を獲得した藤井五冠になる。
タイトル戦で見ると先ず始まったのは名人戦。渡辺名人に斎藤八段が2年連続で挑戦しているが渡辺名人が2連勝中。
さすがに強い印象である。
次はいよいよ藤井五冠の登場で4月28日からの叡王戦で出口六段の挑戦を受ける。
その後先日挑戦者が決まった棋聖戦が6月3日から始まる。
挑戦者は渡辺名人を決勝戦で破った永瀬王座で、受けて立つのはもちろん藤井五冠である。
永瀬王座は昔からの研究仲間であり、通算成績は藤井五冠が7勝3敗でリードしているが、直近の2千は永瀬王座が勝っているのである。残り3冠の対戦相手はまだ決まっていないが、いずれにしても厳しい相手になるだろう。
2022年度の5タイトルを全部防衛すると真に藤井1強時代が始まる様な気がする。
もう一つ今年の注目は来年の名人戦挑戦者を決めるA級順位戦である。6月から9ヶ月間かけて10棋士で挑戦者を決める戦いが始まる。今年A級に昇級した藤井五冠の初戦は将棋連盟会長の職にある佐藤康光九段である。
余談だがA級順位戦の組み合わせはトランプのダイヤA~10を使って決める事になっている。
2回目以降は対戦相手が既に対戦した相手になったらやり直すという大変原始的な方法でやっているらしい。
伝統を重んじるのは大切だが、公平性は保った上でもう少し効率的な方法に変えたらどうであろうか?
2022年第1四半期(1~3月)補聴器出荷台数!
2022年第1四半期(1~3月)補聴器出荷台数!
2022年第1四半期の補聴器出荷台数が公表されました。
詳細は次の通りです。
2022年 1月~3月(前年比) タイプ別構成比(前年の構成比)
合計 138,379(102.2%)
ポケット型 3,356( 90.0%) 2.4%( 2.8%)
耳かけ型 34,960( 96.6%) 25.3%(26.7%)
RIC型 45,582( 95.3%) 32.9%(35.3%)
メガネ型 54( 43.2%) 0.1%( 0.1%)
耳あな型 40,833( 98.7%) 29.5%(30.6%)
既成耳あな型 13,594(220.8%) 9.8%( 4.5%)
2020年に出現した新型コロナウイルス感染の影響で落ち込んだ補聴器出荷台数は、2021年にTV観賞用の需要が貢献し
589,951台まで回復しました。
2022年は外出自粛が緩む中、増加か減少かいずれの方向に進むか注目されていましたが、
既成耳あな型だけが大幅に伸びる出だしとなりました。
全体としては2、964台増加しているので、2022年全体としては60万台復帰の足がかりになりましたが、
伸びたのは既成耳あな型の7,436台だけで他は全て減少していることになります。
既成耳あな型の特徴は簡単な装用と低価格ですが、海外メーカーがこの分野に力を入れ始め、
ある程度の調整が出来る製品に水準が上がっていることがうけているのだと推測します。
以前よりブログで指摘してきた通り、この傾向は今後も増加することが予測されるので、
将来的には市場の半分位を占める事になるかも知れません。
その意味では次回第2四半期(4~6月)の動向が注目されます。
永平寺!
永平寺!
大晦日のNHK番組行く年来る年の除夜の鐘でしばしば登場する永平寺は福井県の山奥にある。
開山は道元で総持寺と並び曹洞宗の大本山である。
道元は幼児に父母を亡くし14歳(1204年)に比叡山延暦寺に上がり仏門に入った。
しかし、天台宗の教えでは「人は皆生まれながらにして、本来悟っている仏性を持っている」と言っているのに
何故厳しい修行をしなければ悟りが得られないのかと言う疑問があった。
1217年に比叡山を下り、臨済宗宗の建仁寺に教えを請おうとした。
開祖栄西は2年後に亡くなったので、直弟子の明全と共に1223年宋に亘り天童山景徳寺の如浄に入門した。
如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したもので、
道元は4年あまりの修行により法を嗣ぐ許可を得て帰国した。
現在も続く永平寺の修行は壁と向き合って座禅を組むもので、「自己を見つめて自我を捨てる」境地に達することらしい。
永平寺が何故福井県にあるかと言えば、帰国後道元は旧仏教勢力の比叡山から激しい迫害に遭ったことに起因する。
永平寺の由来は中国で初めて仏法が伝来し後漢明帝の時の元号「(永平)からで、その意味は「永久の和平」である。
現在では暴虐の限りを尽くすプーチンに修行させたいものである!
レーニア山!
レーニア山!
北米の山と言えばアラスカのマッキンレー山(デナリ山)カナダのローガン山を思い浮かべる人が多いのではないかと思うが、
これはあまりアメリカの観光をした事がない自分だけのことかも知れないが。
米国のちょうど中部地帯にはプレートレーンと言われる平原地帯がありその西側にロッキー山脈が北西から南東に走っている。
さらにその西側にシエラネバダ山脈がカリフォルニア州東部を縦断している。
そして今回お目当てのレーニア山が位置するカスケード山脈はカナダのブリティッシュ・コロンビア州からカリフォルニア州北部の
シャスター・カスケード州を西海岸沿いに走っているのである。
自分は行ったことがないのだが、NHKBSで【世界の山々・美の旬描】という番組があり、美しいし世界の自然を紹介してくれる。
簡単に海外に行けない者に撮っては有り難い番組である。
カスケード山脈の最高峰が4392mのレーニア山でアジア系移民が移住した最寄りのタマコから70km、
シアトルから車で2時間ほどの場所に位置している。
それぞれの町からの見え方が素晴らしい山である。タマコではタマコの富士山とも呼ばれているらしい。
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この山の一体はレーニア国立公園になっていて自然がそのまま残されている場所でもある。
もちろん登山ルートも設定されており、米国人登山者の登竜門にもなっている様だ。
この国立公園には様々な動物が生息しており公園内を散策するといろいろな動物に遭遇することが出来る。
森林も奥深く、巨木が多く古代の森と呼ばれるペイトリアークス森林もある。
アメリカ ネズコはヒノキの仲間で樹齢千年を超えるという。
レーニア山のもう一つの特徴はアラスカを除くと北米最大の氷河地帯であること。
全部で25~26の氷河があり最長は9kmのカーボン氷河でその先には画像の通り水煙のスプレイフォールがある。
カスケード山脈は連山というよりは火山がポツンポツンと孤立している感があり、
画像のアダムズ山(3751m)や1980年に噴火して頂上が吹き飛んだセントヘレンズ山(2950m)もある。
米国はとても広いので日本にはないスケールの大自然が満喫出来そうだ!
どこから来た地球の酸素?
どこから来た地球の酸素?
約45億年前に形が出来上がった地球は正に熱球であった。
地球の大きさが確定するまでに木星からやってきて、地球と合体した小惑星群が豊富な水分を含んでいたので地球は水の惑星になったらしい。
しかし、大気中に豊富な酸素があるのは創世記に宇宙からもたらされたものではないようだ。
画像を見てほしいが、ここには映画【エイリアン】に出てくる玉子の様なものが沢山あるではないか!
何処にあるかと言うとこれは南極の氷底湖(または氷床湖)に存在している。
海側は氷山で閉ざされ、大陸側は氷河が溶けた淡水が溜まりその上を比較的薄い氷が覆っている状態の湖である。
驚くことに、この玉子みたいな突起物は約30億年前に大繁殖したシアノバクテリアの集合体なのである。
このシアノバクテリアが持つたんぱく質と氷を通して届く光がエネルギーとして反応することで光合成が起こり、
大気中に大量の酸素が出現し生物の誕生に大きく貢献したのである。
我々が現在存在するのもシアノバクテリアのおかげである事は忘れてはならない。
折角これまで築いてきた文明の一つの象徴でもあるウクライナの各地域を破壊しているプーチンを見ていると、
シアノバクテリアに申し訳ない気がしてならない!
ウクライナ・頑張れー!
ウクライナ・頑張れー!
4月18日の週に入り、ロシアがウクライナ東部と南部マリウポリに集中して大攻勢をかけている。
TV情報によれば、5月9日にプーチンが勝利宣言をしたいが為に急がせているとのこと。
マリウポリも東部もロシア側の情報が多くなりウクライナの劣勢が感じられ、このまま敗戦につながるのかと不安に駆られる。
米国やNATOが提供しているといわれる攻撃型武器は何処にあるのだろうか?
手配が手遅れでウクライナが降参するのでは何の意味もないではないか!
米国もNATOっももっと迅速な対応をしてほしい。
病気で動きが取れない身としては参戦出来ず申し訳ないが、声援だけは強く送りたい。
ウクライナ・頑張れー!
旬の食材 筍!
旬の食材 筍!
筍がシーズンでいっぱい店頭に並んでいる。
農協に行ったら地元の筍が売っていたので早速買って帰り、ぬかを入れてしっかり湯掻いてそのまま放置して冷ましてから調理して、
牛肉と一緒に煮て食べてみた。
実に柔らかくてそして春らしい筍の香りがいっぱい漂って何となく幸せな気持ちになった。
明日は残った筍でイタリアンパスタを作ってみようと考えている。
今思い描いてるのはアサリと筍、あるいは筍とバター醤油だが、どちらにするかは明日の気分次第である。
日本には明確な四季がありその四季を彩る季節の行事や時々の旬の食べ物があり、
それは生活に根付いて私達の生活を豊かにしてくれる。
ウクライナの悲惨な状況をTVで見ていると、日本がこんな平和な世界で良いのだろうかと思ったりもする。
もうすぐ五月ですが端午の節句となれば鯉のぼりが空高く舞い菖蒲湯も清々しいし、もちろん柏餅やちまきも欠かせない。
昔の人たちは今のように刺激的な娯楽が多くなかったので、自然の移ろいや恵みにより鋭敏に反応して生活の中に
取り入れていたのであろう。
先達のおかげで我々現代に生きる人間は、美味しく季節の恵みを食べる事ができる伝統文化を享受していることに感謝しかない!