ビル・ゲイツが選んだ2021年の5冊!
ビル・ゲイツが選んだ2021年の5冊!
毎年その年の5冊を公表するビル・ゲイツの読破する分野は幅が広いのに感心します。
そこから生まれる思考の柔軟性がマイクロソフトみたいな企業を立ち上げることが出来たのでしょう。
○ マギー・オファーレル著:「ハムネット」
シェークスピアの息子ハムネットの死がシェークスピアにどんな影響をもたらしたかについての新解釈。
○ アンディ・ウィア著:「プロジェクト・ヘイル・メアリー」
興味深いSF小説。
○ ウォルター・アイザックソン著:「コード・ブレイカー:ジェニファー・ダウドナと遺伝子編集、そして人類の未来」
遺伝子編集の科学を一変させる「遺伝子のハサミ」発見に至るドラマ。
○ ジェフ・ホーキンス著:「千の脳:知能をめぐる最新の理論」
脳内の単純な細胞が一体どのようにして知性を生み出すのかというテーマに新しい理解をもたらす?
○ カズオ・イシグロ著:「クララとお日さま」
高度な人工知能を搭載した人型ロボットが登場する近未来SF小説。
時間があれば是非読んでみて下さい!
武相荘!
武相荘!
多摩丘陵の里山、町田市鶴川に武相荘があります。
ここは白洲次郎、正子が政治や実業の一線から離れて農業に励んだ終の棲家です。
現在はミュージアムとレストランを併設し四季を通じて多くの人々の憩いの場となっています。
さて武相荘の住人であった白洲次郎、正子とはどんな人物であったのでしょうか?
次郎は1919年英国ケンブリッジ大学に留学後、吉田茂と知り合い彼の側近となりGHQとの折衝にあたり
講和条約使節団の一人でもあり、又日本国憲法の成立にも関与しました。
英国仕込みのダンディな好みは武相荘に残された愛車ベントレー等にも見てとれます。
服装にも時代の風潮や自分の気分を取り入れちょっとした冒険もしたようです。
一方、正子は1910年に樺山伯爵家令嬢として生まれ幼い頃から能など古典芸能に通じ19才で白洲次郎と結婚、
その後青山二郎、小林秀雄らと交友し骨董を愛するようになっていくのです。
武相荘にも多くの正子の好みが反映した調度や陶器が残されています。
コロナ禍が発生する前の秋も深まった11月の終わり頃ここ武相荘の夕食に訪れたことがあります。
日の沈む少し前に竹がびっしり埋まった細い小径を歩いて茅葺きのミュージアムに向かいました。
たくさんの蔵書や邪魔にならぬ程度の趣味のよい調度品に囲まれたかつての彼らの住まいは、
不思議に懐かしいような落ち着くような気がしました。親交のあった吉田茂の手紙がありましたが、とても達筆でした。
彼らの私空間といった趣の洋室を改造したレストランは私達一組でとても丁寧なおもてなしを受けました。
白洲次郎と正子が大きな歴史の変換期にどんな気持ちでここ武相荘に暮らしたのかとレトロな空間の中で思いを馳せたものです。
コントレイル引退!
コントレイル引退!
大好きだったディープインパクトの産駒で無敗の3冠を達成したコントレイル。
その意味は飛行機雲!
ディープインパクトのようにG1レースを勝ち取り、父親以上の戦績を残すと期待したが、
昨日のジャパンカップを最後に引退し種牡馬になると言う。まだ4歳ですよ!
これからの偉業の可能性を捨てて種牡馬としての道を選んだ理由が聞けていません。
お金のためということはないと信じたいが本当の理由を聞きたいものです。
今回のジャッパンカップにはいつもながら優秀な馬が集まりました。海外からも3頭参戦しています。
その中で馬券トップは1.6倍のコントレイルでした。
競馬場で観戦している人達はコントレイルの最後の勇姿を観ようとして来た人が多かった様に思います。
レースはコントレイルが思い描いた様な展開となり、最後の200mほどで抜けだし、見事優勝したのです。
勝利した後、過半数の観客が拍手をして喜びを分かち合っていました。。
わずか2年間の戦いで、正に飛行機雲の様に競馬場から去って行きます。
個人的には残念でなりません。
せめて画像を掲載しておきます。
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剣山の紅葉!
剣山の紅葉!
富山県が誇る剣山は富山湾からみると真ん前にそびえる名峰です。
高さは裏に隠れた立山の方が高いですが、2999mの頂上に憧れる人は多いそうです。簡単に登れないところが良いのでしょう。
おそらく今日現在は終了していると思いますが、今年最後の紅葉掲載として剣山の紅葉をお届けします。
左上部の白は雪渓です。右下は常緑樹、その中に紅葉があります。岩だらけの剣山中腹にこんな綺麗な紅葉があるとは驚きです。
実際に見れる人も少ない貴重な画像です。
それ以外の画像も掲載します。
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26回目の高尾山!
26回目の高尾山!
木曜日の今日高尾山に行きました。
高尾山口駅に着いた時から人の多さにちょっと驚きましたが、考えてみたら紅葉の終盤ではないですか!
ケーブルカー前の広場は紅葉が一番綺麗な場所ですが、ちょっと盛りは過ぎていました。
それより、ケーブルカーに乗るための行列を初めて見てびっくりしました。
今日は体調が悪いせいか身体が重く何度か止めようと思いましたが、なんとか頂上にたどり着きました。
そこでまた行列です。山頂標識と写真を撮るために並んでいるのです。
綺麗に見えた富士山はそれを微笑んでみているようでした。
下りは足が気になったのでケーブルカーに乗ろうと思いましたが、そこも長い行列だったので、結局高尾山口まで歩いて来ました。
合計2万歩の行程でした。今回が今年の納めになると思います。
京都の紅葉!
京都の紅葉!
コロナ禍が長かったせいか、又は、病気のせいか、新幹線に乗って京都の紅葉を見に行く気がしません。
BS・NHKが少し京都の紅葉を紹介してくれたので、画面を食い入るように見ていました。
主に紹介してくれたのは醍醐寺、豊臣秀吉と関係が深いようです。
画像は昼と夜の弁天堂と右は三宝院です。
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ついでといっては失礼ですが、最も有名な東福寺(左)と瑠璃院(右)も見せてくれました。
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膨ら脛の状態が良ければ今週後半にも六義園か新宿御苑に行きますか?
五冠なるか?藤井竜王!
五冠なるか?藤井竜王!
漫画の世界にいるような感じですが、先日竜王となり四冠を獲得した藤井竜王が昨日行われた王将戦リーグ戦で近藤七段を下し、
5戦全勝で王将戦挑戦者になりました。
王将戦は2日制の七番勝負で来年1月9~10日に第1局が始まります。
渡辺王将と藤井竜王の対戦成績は藤井竜王の8勝1敗です。今年は棋聖防衛戦で対戦し、藤井二冠が3連勝で防衛しています。
渡辺名人(三冠)は序盤に優位な大成を作るのが巧みな棋士で、さらに終盤力にも定評があります。
藤井竜王(四冠)はどちらかというと序盤に弱いといわれています。
しかし最近は克復し、さらに2日制には滅法強く今年は王位戦も竜王戦も4-0で勝っているのです。
現在最強と言われる渡辺名人を下して藤井竜王が五冠となり八冠完全制覇に突き進むのか大注目の対局です。
将棋ファンにはたまらない年明けになりそうです。
日本三大紅葉名所!
日本三大紅葉名所!
今年はコロナ禍の影響でさっぱり出歩かなくなり、さらに病気のせいか判りませんが、
右足の膨ら脛に軽い肉離れが発生して歩けない状態が続いています。
先日ちょっと良くなったと思い九品仏駅の浄真寺に行って見ましたが、紅葉はさっぱりでした。
紅葉の見どころとして全国に有名な日本三大紅葉名所なるものがあるそうです。
栃木県 日光の紅葉
京都府 嵐山の紅葉
大分県 耶馬溪(やばけい)の紅葉
【はじめての補聴器】サイトをご覧の皆さんは全て訪れたことがありますか?
トレ・チーメ!
トレ・チーメ!
ドロミテは登山靴ブランドで有名ですが、苦灰石(マグネシウム質石灰岩)で出来た奇岩がそびえたる場所としても沢山の日本人が知っていると思います。
イタリアの北東部に位置し、東アルプス山脈の一部をなしています。一番高い山は画像左のマルモラーダで3343mで、
右のカテナッチオ山群(最高3001m)も有名です。
日本では群馬県の妙義山塊が奇岩として知られていますが、ドロミテは規模が違います。
ドロミテの最南、ヴェネト州とトレンティーノ=アルト・アディジェ州の境に奇岩の代表とも言えるトレ・チーメを有するトレ・チーメ
自然公園があります。
先日BS・NHKでトレ・チーメ特集が放映されていました。
以前イタリアに居住していた時に車で一度訪れたことがあり、とても懐かしい気がしました。
1985年くらいだと記憶しますが、当時の印象は何もないところにトレ・チーメがぽつんとそびえているだけだったのですが、
先日の番組ではトレ・チーメ周回11kmのコースが有り、山小屋も4~5軒建っています。
観光客も沢山集まる観光地として生まれ変わっていたのには驚きました。
北側からみると左からピッコラ(2857m)、グランデ(2999m)、オベスト(2973m)が並んでいます。
赤いのは夕焼けのトレ・チーメです。
番組を見て始めて知ったのですが、トレ・チーメの東側にパルテノ山(2744m)があります。
標高はそれほど高くないのですが、この山が上級者にとって絶好の登山コースになっています。
登る過程が映されていましたが、私ではとても登ることは出来ません。
第一次大戦中、イタリア王国とオーストリア=ハンガリー帝国の直接的な衝突は無かったのですが、戦略的に重要な拠点として注目され、鎖を通したり、山の一部を切り崩して細い道を作ったりした跡が現在は登山コースになっているのです。
尚、トレ・チーメの初登頂ですが、グランデは1869年、オベストは1879年、ピッコラは1884年に達成されました。
藤井四冠誕生!
藤井四冠誕生!
昨日11月13日は藤井聡太棋士の日でした。
四冠を目指す藤井三冠が竜王を決める第4局の2日目です。
日本将棋連盟の計らいでPCで進行に合わせて棋譜が見れるので、PCをつけっぱなしにして選局を見ていました。
個人的には是非四冠になってほしいと思っていましたので、どうしても局面を見る目が藤井三冠にひいき目になります。
ところが進行は藤井三冠より豊島竜王の仕掛けが早く、藤井三冠が前屈みになって盤面を見つめるシーンが増えていきます。
自分の空っぽの頭で手を読んでみようとしましたが、考えるほど藤井三冠が不利に見えてみていること自体絶えられなくなります。
夕方になって持ち時間がなくなり秒読みになった藤井三冠が益々厳しいのかなと思っていたのですが、
豊島竜王の攻めが111手の角取りで一段落した時に藤井三冠が満を持した反撃を開始し、122手目で豊島竜王を仕留めたのです。
19歳の四冠はもちろん初めてのことですが、最高位の竜王になったことで藤井四冠が最高棋士になったのです。
生まれて19年、プロになってわずか5年4ヶ月程でそこまで上りつめるものでしょうか?
信じられないことばかりですがもう一つあります。竜王戦の挑戦者になるためには何回もある予選を勝ちぬかなければなりません。
最初の6級は竜王及び5級までに在位する棋士を除く棋士達、アマ5名、女流棋士4名、奨励会1名が参加するトーナメントです。
5級と4級は32名によるトーナメントです。3級~1級は16名によるトーナメントです。そして決勝トーナメントは1級から5名、
2級から2名、3級~6級は角1名が参加するトーナメントで、挑戦者を決める決勝戦は3番です。
藤井4冠のプロとしての最初の対局は竜王戦6級の1回戦であの伝説の加藤一二三棋士でした。
この対局は報道でも大きく取りあげられ、その後ひふみんでTVに良く出演されているので皆さんもご存じでしょう。
富士四冠は昨日4-0で竜王になりましたが、6級から決勝トーナメントで挑戦者になるまで1回も負けていないのです。
これも当然新記録です。
将棋界のみならず各界から称賛の声が上がっています。国民画の幅広い層が注目していることが分かります。
この次は渡辺王将への挑戦をかけたリーグ戦があります。
現在4-0でトップですから残る2局を勝ち抜いてほしいと思います。