一日の食事!
一日の食事!
入院中は朝・昼・晩とも美味しい食事を頂いています。
ステロイドを飲んでいるせいか、食欲がありなんとなく物足りなさを感じますが、血糖値を抑えなければならないので間食はしません。
おかげで体重が6kgも減っているのです。
退院後の食事について内容も量も意識しないとあっという間に増加して糖尿病や、肝臓と腎臓の数値が悪化する可能性があるので、
以下の通り栄養士さんにお話を伺いました。
○ 一日に必要なエネルギーは1800kcalです。
○ 3食の配分としては、朝が30%、昼が40%、夜が30%です。(朝食を必ず摂ることと夕食は増やさないことが大事な様です)。
○ 構成は主食「炭水化物系」、主菜「たんぱく質系」、2つの副菜2つ「繊維質+脂質」+乳製品(120kcal)/日+
果物(80kcal)/日+具沢山の汁物1杯/日。2つの副菜以外にキノコ・海藻・こんにゃくは別に摂ってかまわない。
○ 油は控えめにして大さじ1杯/日。
○ 主食/回は米200g、8枚切り食パン2枚、ゆで麺1玉のいずれか一つ。(芋類の代用は可能だが量は種類による。)
○ 主菜/回は魚料理70g、肉(赤身)70g、卵1個、チーズ20g、豆腐100g、納豆1パックのいずれか一つ。
その他にちくわ・さつま揚げ・がんもどき・魚介類など。
○ 副菜は煮物・サラダ・お浸しなどで、2つ選択。
○ 野菜/日は350g以上で、緑黄色野菜が120g以上。
○ 食べ方としては①早食いしない②良く噛む出来れば30回以上③食べているときは箸を置く
④野菜を最初に5分かけて食べ、次に主菜、最後に主食を摂る⑤同じものばかり食べない。
感想:
全体的にはものすごく窮屈な感じがします。
家族や友人との食事であれば、どうしても夕食時に比重がかかる上ボリュームアップが避けられそうもないので、
結局病人の自分だけは別メニューで個別に食べることになるのかもしれません。
三食必ず食べるのもこれまでその習慣がない者にしてはつらいものがあります。
スーパーやコンビニの弁当やお惣菜は様々な調味料が入っているので栄養バランスが決して良くないため、
栄養士さんの指導通りにしようとすると常に自分で準備する必要が出てきます。
毎回の献立を考えて支度をすると落ち着いて他のことが手につかず、
結局三度の食事に時間を費やすだけで1日が終わってしまう可能性がある様に感じます。
完治しない病気との共生をして、感染症対策と息が上がるために行動が制限されるのが
大変なことであるのを再認識しているところです。
餃子の市・宇都宮市!
餃子の市・宇都宮市!
200件以上の餃子専門店がある宇都宮市は、駅前に餃子の石像が建つほど思いがこもっています。
宇都宮市が「ギョウザの街」を宣言したのは1990年でした。
総務省が毎年発行している「家計調査年報」の中に、餃子にかける1家族当りの金額も記載されています。
餃子については1987年から掲載されていた様ですが、宇都宮市役所の職員が1987年から宇都宮市が
全国1であることを見つけたのです。
この職員は大変賢いと思うのですが、このデータを町おこしに活用し労して、宣言に至ったのであります。
宇都宮市には餃子に人気が集まる背景がありました。
戦時中、宇都宮にあった第14師団から約1万人が中国北部に出兵し、そこで食べた餃子に魅せられてしまいました。
そして帰国後家庭内や商売として餃子を作り始めたのです。
さらにこの流れを後押ししたのがニラでした。
栃木県はニラの生産日本一なので、餃子が作りやすかったものと思われます。
東京23区の話!
東京23区の話!
現在の東京都が市になったのは1889年です。
当時、区は15しかありませんでした。当たり前ですが名前も今とは相当違います。
広さも今よりかなり狭く、現在の千代田区、中央区、港区、文京区に下町の一部を加えた程度でした。
区の数が一番多くなったのは1932年で35区になりました。
その時に荒川区、渋谷区、世田谷区などが誕生しました。
戦後の1947年3月に区の合併が行われ、一気に22区に縮小したのです。
そして、現在の23区になったのはその5ヶ月後の8月でした。
最後の23区目になったのは板橋区から分離した練馬区なのです。
23区の区分地図1番は千代田区、2番は中央区、3番は港区、4番は新宿区と続きます。
普通は「あいうえお」順などが採用されますが、23区の場合は1967年に制定された
自治省のコードナンバー順になっています。23区に住んでいる成人住民で
23区全てを言える人は何割いるでしょうか?私の推測では80%未満の様な気がします。
役所が千代田区を最初として時計回りにつけたコードナンバー順ですから、覚えにくいのは当たり前です。
23区は坂道が多いのも特徴の一つです。赤坂、道玄坂、神楽坂などいくらでもあります。
特に文京区、新宿区。港区、千代田区に多いのですが、理由は大昔から発生してきた富士山の噴火の影響だそうです。
長年堆積した火山灰のなごりですが、川の氾濫等で流されなかったところが残った結果です。
世界でも珍しいほど多く、23区で800以上もあります。
一番多い名前は「富士見坂」です。
昔は高層ビルがありませんでしたから、坂の上では必ず富士山が見えたのでしょう。
お帰り・熊本城!
お帰り・熊本城!
2016年の熊本大地震で大きな被害が出た熊本城の復旧工事が完了し、4月26日に一般公開されることになりました。
まさにお帰り・熊本城です。
熊本城は私の大好きなお城の一つです。熊本市の繁華街のすぐ脇にあってまさに市民の憩いの場所と言って良いでしょう。
坪井川に一番近い行幸坂沿いの櫓門から入り、竹之丸の途中を左に向かって武者返しの石垣を見ながら
天守閣に向かって階段を上って行くのがお気に入りでした。
地震で石垣も崩れたところもあったと思うので、底は復旧したのか分かりませんが、
本丸だけでなくお城全体が復旧してくれる事を願います。
天守閣内部も今回の復旧で様々な工夫が凝らされ、利便性も上がった様なので、益々熊本城の人気が高まるでしょう!
(画像左は以前の姿で右は復旧後の姿です)。
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しだれ桜!
しだれ桜!
日本各地からは未だ桜満開の便りが届いていますが、残念ながら東京都心では真っ盛りは過ぎてしまいました。
現在入院中の病院内にも立派な桜があったのですが既に見る影もなく、
9階の病室から近所を見渡しても白やピンクの色が消えています。
2021年の桜シーズン最後を飾るのはやはりしだれ桜と思いますので、
思いもよらず入院した記憶のためにも、いくつか画像を掲載しておきます。
(左醍醐寺、右は六義園です)。
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3色旗の国旗!
3色旗の国旗!
ロシアを含め欧州には3色旗の国旗が20もあります。
一般的には3色旗を広めたのは16世紀初めのオランダということになっています。
しかし、オーストリアではそれより300年以上前から横並びの赤・白・赤の国旗が
使われていたそうで、これが本当の始まりかもしれません。
そして国旗が表わしていることが次の様な故事であることに驚かされると同時に、
今でも変えずに国旗の意味なのは面白い感じがします。
【返り血を浴びて全身が真っ赤に染まった支配者のベルトが白く残った】。
大半の他の国は3色それぞれに歴史や国の特徴の意味を持たせています。
主だった国を掲載します。
フランス:青(自由)、白(平等)、赤(博愛)
ドイツ:黒(力、勤勉)、赤(血、情熱)、黄(名誉、栄光)
イタリア:緑(美しい領土)、白(アルプスの雪、正義、平和)、赤(愛国、熱血)
オランダ:赤(国民の勇気)、白(信仰心)、青(忠誠心)
ルーマニア:青(澄んだ空)、黄(鉱物、穀物)、赤(国民の勇気)
ハンガリー:赤(戦いの尊い血)、白(川や清潔さ、平和)、緑(山々や希望)
ブルガリア:白(平和と自由)、緑(大地の恵み)、赤(国民の勇気)
ベルギー:黒(力)、黄(充実)、赤(勝利)
アイルランド:緑(カトリック)、白(平和)、橙(プロテスタント)
ロシア:白(高貴、素直)、青(名誉、清らかさ)、赤(愛、寛大、勇気)
その他にルクセンブルグ、エストニア、スロベニア、スロバキア、クロアチア、リトアニア、
セルビア、モルドバ、アンドラがあります。
桜とお城!
桜とお城!
各地で桜情報が飛び交っています。山とのコラボ画像、ボリュームを誇る画像、咲き乱れるしだれ桜の姿など、
様々なシーンが展開されていて視覚を活性化させてくれています。
私が一番好きなのはお城とのコラボ画像です。
凜と歴史の重みを感じるお城の一角を綺麗な桜が包み込む等最高ではないですか!
画像は左が津山城、右は伊賀上野城です。)
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伊豆諸島は8島ですが「伊豆七島」!
伊豆諸島は8島ですが「伊豆七島」!
伊豆半島は静岡県、伊豆諸島は東京都。
考えて見ると東京都はとても長い県です。何しろ小笠原諸島まで東京都ですから。
そんな中で,
夏に特に注目される伊豆諸島は「伊豆七島」として有名です。
一番大きい大島からぐっと離れた八丈島までです。
全て記憶しているわけではありませんので、地図を見ながら近い惇に記載してみると次の様になります。
大島、利島、新島、式根島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島。
おかしいですね。誰が数えても八つの島があるではありませんか!
何故、伊豆八島と呼ばずに伊豆七島というのでしょうか?
答えは歴史のある呼び名を変えたくないということの様です。
昔は確かに七島だったのですが、1703年の元禄大地震で新島と式根島が二つに分断されてしまったのです。
尚、伊豆諸島は1878年から東京府(東京都)になりました。
八丈島のクルマナンバーは品川ナンバーです。
ライトアップの桜も良いですね!
ライトアップの桜も良いですね!
東京は既に満開の時期が終了しましたが、全国各地で満開情報が飛び交っています。
京都では3月26日に満開となり、812年からの記録の中で一番早い満開日だそうです。
これまでの最速は1409年の3月27日との記録が残っています。
さすがに歴史を大切にする京都の真骨頂といった感じです。
今回はお城と桜のライトアップを二つ掲載します。幻想的で綺麗ですね!
(左は姫路城、右は二条城です。)
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ウルルは1枚岩?
ウルルは1枚岩?
南オーストラリアにあるウルルは世界で2番目の1枚岩です。
現在はアボリジニーとの合意に基づいて登山禁止になってしまった比高335m・周囲9.4kmのウルル(集会の場所)は
1872年の探検家のウイリアム・ゴスが発見し、当時南オーストラリア州書記長ヘンリー・エアーズ卿の名にちなんで
「エアーズ・ロック」と名付けられました。
この1枚岩の歴史は6億年程前に遡ります。
当時この地帯は山から川によって運ばれてきた堆積物によって礫岩層と粗砂岩層が形成されていました。
その後、発生した地盤沈下で海底になり砂、泥、石灰岩などが堆積したのです。
その後3~4億年前に大きな造山活動が始まり、ウルルが地上に再登場したわけです。長い年月をかけて、
上部のもろい部分が風雨に浸食され固い部分の現在の姿になったというわけです。
画像を見ると地表にどでかい岩が地面に蓋をしているように見えるのですが、地中にこの岩は続いています。
そういう意味では岩ではなく地層そのもの、つまり大地ということになります。
本当に最大の単体1枚岩は一体何処にあるのでしょうか?
尚、ウルルと同じ構造で見た目が世界一の1枚岩は西オーストラリアに存在します。
1858年に発見されたマウント・オーガスタです。
比高858mあり、ウルルの約2.5倍の大きさがあります。
こういうブログを書いていると、自然のパワーは凄いものだとつくづく感じます!