#奥州藤原氏・金色堂・水滸伝!
#奥州藤原氏・金色堂・水滸伝!
北方謙三が書いた壮大な水滸伝に奥州藤原氏が出てくるので驚いたことを憶えているが、
最近NHKBSで奥州平泉中尊寺の金色堂を紹介する番組があり大変面白く観賞させてもらった。
11世紀に朝廷内部の政争に絡んで奥州藤原家は誕生した訳だが、わずか4代で終った。
原因は源義経を匿ったことに端を発した。
源頼朝が義経の引き渡しを4代目泰衡に要請したが当初は拒み続けた。
最終的には圧力に屈し1189年に義経を自害させたのである。
しかし頼朝は奥州藤原家の存在自体を恐れたため同年出兵し、家臣の造反により4代目は殺され、奥州藤原氏4代で滅んだのである。
北方謙三の水滸伝では梁山泊が物々交換の形で奥州から砂金をもらっていたようだ。
梁山泊の武将張青の美人妻が平泉に滞在もして交易を拡大していたのだ。
マルコ・ポーロの東方見聞録で伝えられた物流の最北東端だったのかも知れない。
奥州平泉と言えば誰もが中尊寺の金色堂と言うだろう。
初代清衡が建造されたと言われる金色堂は、平泉の金文化を支えたと伝えられている玉山金山(岩手県陸前高田市)、
鹿折金山(宮城県気仙沼市)、大谷金山(宮城県気仙沼市)などの金鉱山を背景に、全て金で覆われた素晴らしい建造物であり、
阿弥陀如来を始めとする33体の仏像も金で覆われているのだ。
何故この様な金色堂にしたのか、何故33体も祀られているのか分かっていない。
更に、床の下には3つの棺があり、清衡、基衡、秀衡が安置されているそうだ。
11世紀にこんな素晴らしい金色堂が建造されたとは、まさに日本の文化・芸術を誇るに値すると思う!
(O・T)