#ペルー日本大使館占拠事件!
#ペルー日本大使館占拠事件!
藤森元大統領が亡くなった。
元藤森元大統領と自分には共通の出来事がある。
1996年12月に共産党集団のセンデロルミノッソが行ったペルーの首都リマにある日本大使館占拠事件である。
1996年12月20日頃選挙されその日大使館に集まっていた商工会の日本人が相当数人質になったののだ。
当時エクアドルに駐在していたのが理由で、リマの人質に遭遇した家族の支援でリマを訪れたのは24日だった様に思う。
3日ほどの滞在中お手伝いをした上でエクアドルに戻ったのだが、その時の記憶を一部掲載しておこう。
南米で訪問した国はパナマ、コスタリカ、コロンビア、ペルー、チリ、アルゼンチン、
ブラジル、ベネズエラであるが、隣国でありながらペルーが最後に訪れた国だったと思う。
マチュピチュとかナスカの地上絵とか訪れたい所は沢山あるが結局どこも行っていない。
エクアドルからペルーのリマまでの飛行機から見えたアンデス山脈は美しかった。
24日リマの飛行場に着いてパスポートコントロールに行った時、かなり閑散としていたように思う。
クリスマスイブだからなのだろうと言う思いが頭を過ぎった。
検査官に日本大使館のことを聞いたが何も知らないというので、現地では話題にも上っていないのかと思った。
空港を出てタクシーに乗ったが、タクシーの運転手も知らないようだった。
空港からホテルに直行したが、町全体が何となくほこりっぽい。
地面を見ると砂地も見え隠れして、リマは既に砂漠化していることを認識した。
大使館は住宅地の中に有りどの道路も800m手前で封鎖されていたが、日本と違い野次馬はいない。
まるで何事もないような感じだったのには驚いた。
ジェトロ(?)の事務所が日本人の集会場所になっていて、日尾自治になった家族の皆さんが大変不安そうな表情だった。
4ヶ月以上後に人質が皆救助されたのを知ってほっとしたことを憶えている。
リマの食べ物は豆料理が主体の様であまり美味しい記憶は無い。
コロンビアと同様麻薬が多い国で誘拐事件が多く、気を配っていたが、コロンビアのボゴタほど危険な雰囲気はなかった。
エクアドルもそうだが、現在のペルーは政治的安定性を失っていてあまり住みやすそうな印象がない。
(L・D)