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武相荘! - 天と地にある物事を想い巡らすサイト!よろず放談

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武相荘!

カテゴリ: 散策 公開日:2021年12月01日(水)

武相荘!

多摩丘陵の里山、町田市鶴川に武相荘があります。
ここは白洲次郎、正子が政治や実業の一線から離れて農業に励んだ終の棲家です。
現在はミュージアムとレストランを併設し四季を通じて多くの人々の憩いの場となっています。
さて武相荘の住人であった白洲次郎、正子とはどんな人物であったのでしょうか?
次郎は1919年英国ケンブリッジ大学に留学後、吉田茂と知り合い彼の側近となりGHQとの折衝にあたり

講和条約使節団の一人でもあり、又日本国憲法の成立にも関与しました。
英国仕込みのダンディな好みは武相荘に残された愛車ベントレー等にも見てとれます。

服装にも時代の風潮や自分の気分を取り入れちょっとした冒険もしたようです。
一方、正子は1910年に樺山伯爵家令嬢として生まれ幼い頃から能など古典芸能に通じ19才で白洲次郎と結婚、

その後青山二郎、小林秀雄らと交友し骨董を愛するようになっていくのです。

武相荘にも多くの正子の好みが反映した調度や陶器が残されています。
コロナ禍が発生する前の秋も深まった11月の終わり頃ここ武相荘の夕食に訪れたことがあります。
日の沈む少し前に竹がびっしり埋まった細い小径を歩いて茅葺きのミュージアムに向かいました。
たくさんの蔵書や邪魔にならぬ程度の趣味のよい調度品に囲まれた
かつての彼らの住まいは、
不思議に懐かしいような落ち着くような気がしました。親交のあった吉田茂の手紙がありましたが、とても達筆でした。

彼らの私空間といった趣の洋室を改造したレストランは私達一組でとても丁寧なおもてなしを受けました。
busoso

白洲次郎と正子が大きな歴史の変換期にどんな気持ちでここ武相荘に暮らしたのかとレトロな空間の中で思いを馳せたものです。