#何度でも語りたい中島健郎!
#何度でも語りたい中島健郎!
再びNHKBSが中島健郎を取り上げてくれた。
今回はK2西壁挑戦の記録再現であった。
K2はカラコルム山系に属する8611mの世界2番目の難峰である。
圧倒的にルートが整備されたヒマラヤと異なり、K2はベースキャンプに到達すること自体が大変である。
更に天候の不安定さや急変が多く、世界最難関の山とも言われている。
そんなK2の西壁はまだ誰も寄せ付けない、未踏の恐ろしい壁なのだ。
今回は画像の真正面に鎮座する岩壁に向かって左側の雪原を経由して大きな岸壁を越えてえ8200mレベルに到達し、
余力が残っていれば向上を目指す2段階方式に目標を変更せざるを得なかったらしい。
これは年上の平出が申し出たようだが、中島もK2の厳しさをひしひしと感じ、同感していたのだ。
最初の雪原に到る前から中島は西壁の氷が見た目より薄いことに気付きピッケルを打ち込む場所に大変苦労していた。
1泊していよいよ雪原乗り越えに挑戦を開始して7500m近辺まで登った時の画像が最後だったという。
キャンプから見まもっていた仲間達は、おそらく剥がれたのであろう氷と共に、二人が約1000m滑落するのを見ていた。
嘘だろう!と誰もが思ったに違い無い。
この挑戦をする2ヶ月ほど前に中島がインタビューでいつも見ない夢を見るとか、
家族のことを考えると泣けてくるとか言っていたそうだ。
最悪の事態になる可能性を身体が感じていたのかも知れない。
平出が申し出た目的変更の話の時は大雪が降った後の挑戦だったことも身体への負担が厳しかったであろう。
中島がその時に勇気を出してギブアップ宣言を出していたら、平出は喜んで同意したのではないか?
それほど二人にとって経験したことのない厳しさと難しさだったと思うのだ。
登山家として自分で決めたことだから仕方ないのだが、中島の人間性や登山につての技術力と経験はいくら惜しんでも尽きないのだ。
古希を過ぎた自分なら十分納得するが、39歳ではまだまだやって欲しいことがあったので、運命に対する悔しさすら感じる。
自分は大したこともせずこの年まで生きてきてしまったので、中島健郎が亡くなった今、身の引き方が難しくなったと感じている。
最近ひどい殺傷事件が頻繁に起こっていて日本人の倫理と道徳が崩れてしまっている。
ニュース番組で見るたびに痛烈な怒りを感じるが、この様な悪人達は中島健郎の爪の垢有り難く飲ませてもらい、
かなり過去に遡り出直してこいと善良な国民が言わなければならない!
(J・O)