永遠に語り継がれるディープインパクト!
永遠に語り継がれるディープインパクト!
昨年末に偶然見たNHKの特集番組【ディープインパクト】が大変印象に残りました。
日本の競馬については2018年5月10日のブログで掲載しましたが、その時勉強したおかげで、個人的にも競馬の概略を知ることが出来ました。生涯馬券を買ったことはないのですが、競馬をTVで観戦するのはお気に入りの一つです。
クラシック三冠(皐月賞、ダービー、菊花賞)に焦点を当ててみると、三冠を獲得したのは、これまでに7頭しか誕生していません。
1941年の三冠馬であるセントライは私の生まれる前ですし、1964年のシンザンも競馬に興味がなかった時代なので、馬自体を見たことがありません。1983年のミスターシービーと1984年のシンボリルドルフはイタリアに滞在していた時期だったので、これも見ることが出来ませんでした。1994年のナリタブライアン はエクアドルに滞在していた時期だったので、同様に見れていません。ということで、実際に見た三冠馬は2005年のディープインパクトと2011年のオルフェーブルだけなのです。さらに、無敗での3冠馬と7冠馬になったのはシンボリルドルフとディープインパクトだけですから、そのうちの1頭を見れただけでラッキーと思わなくてはいけないのかも知れません。
武豊が騎乗したディープインパクトの勝ちっぷりが素晴らしく、勝つたびに凄い馬だとの想いが高まったことを覚えています。
NHKの特集番組【ディープインパクト】では、池江調教師がディープインパクトの生い立ちから強さの秘密を解説していました。それを見て、益々ディープインパクトのすごさが判り、いくつかの要点を掲載しておこうと思ったものです。
① ディープインパクトはかなり小さい馬でした。成長しても、他の馬よりサイズは小さかったです。何故あれほど追い込みが素晴らしかったのかについて、下記で秘密が解き明かされます。
② 凄く闘争心のある馬でした。皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、ダービーは「最も運の良い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」と言われていますが、三冠目の菊花賞は3000mの長丁場なので、早く入れ込むと最後まで体力が持ちません。ディープインパクトのスパートのタイミングを遅らせる練習を積んで菊花賞に臨んだのですが、案の定、入れ込み気味でスタートし、それを武豊騎手が懸命に押さえるシーンが印象的でした。結果的には、途中で折り合いがつき、最後にトップギアを入れるいつものスタイルで圧勝したのですが、池江調教師の戦略がなければ、三冠馬になれなかったかも知れません。
③ 2歳のころノーザンファームでは他の馬よりよく走っていたそうです。放牧場に連れてこられた時は、足の不安があり、半径4mほどのパドックに入れられて1ヶ月ほど過ごしたそうです。その時に外で走り回っている馬たちを見て、パドックを出たら空を飛ぶように走り回りたいと思ったのではないでしょうか?
④ 人懐っこさのある馬で、厩舎ではお世話をする人にちょっかいをだしていたらしいです。
それが故に、10万人以上の観客の競馬場で、暴れることも興奮することもなくレースに臨んでいたのではないでしょうか?
⑤ 画像の様に、左の後ろ足の蹄が他の馬に比べて厚さが薄く蹄鉄を釘て固定することが出来ませんでした。アメリカで使用されていた、特殊接着剤で蹄鉄を固定したそうです。釘が神経に触れると強烈な痛みが起きますから、この方法が実現出来なかったら、三冠は無理だったでしょう。
⑥ 心拍機能が他の馬より優れています。最高速度に達した後、約10分で平常の心拍数に戻る他の馬に比べ、ディープインパクトは約3分で戻るそうです。緩急織り交ぜて長い距離を走ることが出来た理由だと思います。
⑦ 後ろ足の桃の筋肉が他の馬に比べてはるかに柔軟です。これにより両後ろ足を他の馬より前に着地させることが出来るのです。同じ歩数でもより前に進めますし、これが、武豊騎手をして、「ディープインパクトは空を飛ぶ馬」と言わしめたのではないでしょうか?
⑧ 足首が柔軟で、他の馬より前方に足が傾斜して推進力が増すのです。最後尾からスタートした小さい馬が、最後の直線で前にいる馬を面白いように追い抜いていく加速力はここで生み出されているのだと思います。
2002年3月23日に生まれ、2019年7月30日に骨折で亡くなったディープインパクトは、2004年12月19日の新馬戦から2006年12月24日の有馬記念まで、わずか2年と5日間の競走馬でしたが、通算14戦12勝の成績を収め、競馬ファンのみならず、日本国民に残してくれた感動のレースの数々は、永く語り継がれていくことでしょう。