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「クイーン ライヴ・ツアー・イン・ジャパン 1975-1986」刊行!

カテゴリ: 趣味 公開日:2019年02月19日(火)

「クイーン ライヴ・ツアー・イン・ジャパン 1975-1986」刊行!

空前のヒット映画【ボヘミアン・ラプソディ】で注目されているクイーンの全6回の来日を振り返るMOOK「クイーン ライヴ・ツアー・イン・ジャパン 1975-1986」が2月14日に発売されました。合計86日間日本に滞在し50回のコンサートを行い、日本中でクイーン旋風を起こした行動記録を写真とデータで綴った本です。昨日慌てて本屋に行き探したのですが、全て売り切れていました。以前のブログにも書きましたが、個人的にクイーンの現役時代を見たことも聞いたこともありませんでした。何故なら1~2回目は社会人として2~3年目で仕事に夢中の時代だったですし、3~6回目はイタリア駐在でこれまた夢中で仕事をしていた時代だったからです。この本さえあればクイーンがわかると思ったのですが残念でなりません。増刷されることを期待したいと思います。クイーンの研究家でこの本の編集に携わった石角さんが本の要約をコラムで公開されましたので、コラムに書かれた6回の公演について、自分なりに知っておきたい点をまとめてみました。

 

第1回1975年/4月17日~5月2日:

デビュー2年目の新人バンドを羽田空港で待っていたのは1000人を超えるファンで、クイーンメンバーは驚き、戸惑ったそうです。日本武道館での単独公演を含む7公演で世界中にクイーンの名が知れ渡りました。クイーンが日本から世界に旅立ったと言われる公演でした。

 

第2回1976年/3月20日~4月8日:

18日間で6都市11公演という強行スケジュールでした。

【ボヘミアン・ラプソディ】を初めて披露し、オペラ・パート、ロック・パート、バラード・パート、エンディング・パートを分けてその間に他の曲を組み入れる解体形式で演奏しました。フレディがアンコールに着物をガウンのようにまとって登場し。途中、着物を脱ぎ捨てるとその下はホット・パンツだったそうです。これが大いに受けて、着物の衣装は後のヨーロッパ・ツアーでも度々登場しました。

 

第3回1979年/4月11日~5月7日:

3年振りのジャパン・ツアーは滞在日数27日間で、全15本のコンサートと、来日公演史上最大の規模となりました。アルバム「華麗なるレース」に収められた日本語曲「手をとりあって」を4月20に初披露しましたが、フレディは日本語詞が不得手なようで、その後毎回の披露はしなかったそうです。

 

第4回1981年/2月9日~2月20日:

4度目の来日は日本武道館5公演のみで地方公演はありませんでした。5回のコンサートで滞在12日間というのは異例の長さだったのですが、このツアー直後に控える初の南米公演に備える休養も兼ねていたそうです。この頃、南米のスタジアム・クラスで公演を行う欧米ミュージシャンは皆無でクイーンが初挑戦でした。結果として、最終公演地のブラジル・サンパウロでは2日間に25万人以上の観客を集め、単独アーティストでの動員記録を樹立しました。

 

第5回1982年/10月17日~11月4日:

度目の来日公演は日本で初となるスタジアム公演(阪急西宮球場、西武ライオンズ球場)2公演を含む全6公演でした。同年5月にリリースされたアルバム「ホット・スペース」の評判が悪く、メンバー間に亀裂を生み、初めての活動休止を発表した状態で臨んだジャパン・ツアーだったのです。しかし日本では、連日圧巻のパフォーマンスでファンを魅了し、特に10月24日の阪急西宮球場公演は、開催が危ぶまれるほどの強風の中で、メンバーと来場の観客が一緒になってたいへんな盛り上がりをみせました。この日のコンサートは後にブライアン・メイがベストアクト!と語ったそうです。


第6回1985年/5月6日~5月16日:

フレディ生前最後の日本公演となった6回目のジャパン・ツアーです。英メディアから解散かと、実しやかに囁かれていた時のツアーでしたが、日本での絶大な人気を体感したことで、彼らは意を強くしたことが、2ヶ月後のライブ・エイド出演及び大成功につながったのかもしれません!

画像は本の表紙です。

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