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哲学書としての新約聖書は#愛#!

カテゴリ: 政治・経済 公開日:2023年06月29日(木)

哲学書としての新約聖書は#愛#!

新約聖書はイエスが紀元33年頃亡くなった後、約100年に亘り収録された文書がまとめられたもので、

397年に北アフリカのキリスト教徒のカルタゴ会議でキリスト教の教典とされたものです。

収められたものはマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4篇の福音書と使徒行録、使徒の手紙、黙示録など全部で27文書があります。

新約聖書はキリスト教徒だけでなく世界中に広まり歴史的に見ても圧倒的なベストセラーかも知れません。

一般人からすると時間は過去から未来へ1方向に流れていると考えていますが、

物理学では出来事の順序を示す数字としか捉えていません。

一方、新約聖書では未来の1点で終るのだそうです。

それはヨハネの黙示録に記載されているイエス・キリストが再来する日なのだそうです。

太陽がイエス・キリストとすれば40億年後位に中心にある鉄の核融合が終り、

重力が減ることで太陽のガスが膨張して地球が飲み込まれる終焉を意味しているのかも知れません。

新約聖書は宗教書ですが哲学書として読むと#愛#の定義が目立ちます。

典型的なのはコリント人への第一の手紙でしょう。

「愛は寛容なもの、慈悲深いものは愛。

 愛はねたまず、高ぶらず、誇らない。

 見苦しい振舞をせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を教え立てない。

 不正を喜ばないが、人と共に真理を喜ぶ。

 全てをこらえ、すべてを信じ、全てを望み、全てを耐え忍ぶ。

 大切なのは信仰、希望、愛の三つ。このうち最も優れているのは愛」と書かれています。

一つおや?と思うのはヨハネの第一の手紙に書かれている「神とは客観的に実在する人格ではなく、愛のことである。」です。

この洞察は後に成立したキリスト教の神学的考え方「神は神、キリスト、精霊の三位一体である」と矛盾している様に思います。

個人的には今日73歳になりましたが、自分がこれまで生きてきた73年を振り返ると、

コリント人への第一の手紙に書かれている内容とは著しくかけ離れているように思えてなりません。

歳をとるとすこしだけ近づいている面もありますが、イエスの領域には永遠に辿り着かないでしょう!